東京でさくらは咲くのか? ホッケー女子日本代表「さくらジャパン」が上昇カーブを描いている。昨年5月に開催国枠で5大会連続五輪出場が決定。同8月のジャカルタ・アジア大会で初優勝を飾った。かつて年間強化費2000万円、合宿は大部屋で10人雑魚寝など困窮ぶりが注目されたが、現在の強化費は約3倍。日本協会のガバナンス強化、選手の自己負担撤廃、外国人監督起用など、今に迫る。(金額は推定)【取材・構成=益田一弘】


「女子ホッケーをもっとたくさんの人々に知ってほしい」。スティックでボールを打つ小野真由美(撮影・浅見桂子)
「女子ホッケーをもっとたくさんの人々に知ってほしい」。スティックでボールを打つ小野真由美(撮影・浅見桂子)

「アンソニー、アンソニー」。青いフィールドに歓喜の輪が広がった。昨年8月31日、ジャカルタ。日本女子はアジア大会決勝で格上インドを2-1で撃破。選手はアンソニー・ファリー・ヘッドコーチ(HC、45)を胴上げした。34歳のベテラン小野真由美(SOMPOケア)は「HCが重くて…。腰を痛めてしまった」。長く耐えてきたさくらが、東京で咲き誇るきっかけをつかんだ瞬間だった。

かつて、さくらジャパンと貧乏は同義だった。04年アテネ大会で五輪初出場。スポンサーはゼロ、年間強化費はわずか2000万円。「欧州遠征1カ月で1000万円かかる」と日本協会の中村専務理事。サッカーの180分の1、代表選手のアルバイトが話題になった。08年北京大会でも状況は変わらない。廃校のコンピューター室に雑魚寝して、自炊生活。階段の踊り場に布団を敷き、談話室をカーテンで仕切って寝た。当時を知る小野は「カーテンの下に向こう側をがんがん通る人の足が見えた。14年にコンピューター室に2段ベッドが入った時はうれしかった。でも学校って冬は寒いんです…。アドベンチャーな生活でした」。格安航空券を使って南米移動に丸2日かけた。「深夜の空港で5時間待ちもあった」と小野は振り返る。


日本ホッケー協会の中村康夫専務理事
日本ホッケー協会の中村康夫専務理事

04年アテネ前後はマクドナルド、08年北京前後もスポンサーがついたが、長続きしない。中村専務理事は「スポンサーに慣れてないこともあったが、何のお返しもしてなかった」。協会幹部が代表チームの選手選考に口を出し現場は混乱。しかも成績不振の責任をとらされた監督が反発するなど、イメージダウンした。

強化費がない分は、選手が負担した。16年まで協会には遠征ごとの選手自己負担額の一覧表が存在した。「欧州、南米10万円、東南アジア5万円、韓国3万円」。国内合宿でも1万円~1万5000円を徴収。16年度の自己負担は男女選手、スタッフら合計で年間約3000万円を計上した。

転機は16年リオ五輪後。男子は68年メキシコ大会以降出場なし、女子は1次リーグ敗退。東京での復活をかけ、学生時代にホッケー部で元外務大臣、元文部大臣の中曽根弘文参議院議員(73)が新会長に就任した。17年7月の理事会では「(男子は)メキシコから50年たって東京五輪に出て、また50年出ないつもりか」と理事を一喝する厳しい声も飛んだ。新会長は多忙でも今年1月の理事会欠席まで会議すべてに出続けた。

新会長の下で、協会もガバナンスを強化した。「選手のモチベーションを下げるな」という理由で自己負担撤廃を掲げた。協会幹部の現場介入も封印。選手選考からすべてを代表監督に一任した。中村専務理事は「当たり前だけど、恥ずかしいことにそれさえもできてなかった」と振り返る。


ジャカルタ・アジア大会で優勝したホッケー女子日本代表「さくらジャパン」
ジャカルタ・アジア大会で優勝したホッケー女子日本代表「さくらジャパン」

新会長就任、ガバナンス強化は新スポンサー獲得につながった。17年10月には損保ジャパン日本興亜がメインスポンサーについた。18年4月にSOMPOケア、高島屋、キッコーマン、同11月に味の素も参加。今年2月にはサングラスメーカー「ジゴスペック」(福井県鯖江市)と物品提供契約を結んだ。苦境に耐えて04年以降も五輪に出続けた実績が日本オリンピック委員会に評価されて強化費も増えた。強化費は04年時の2000万円から約3倍。中村専務理事は「こつこつと4大会連続で出たことが、やっと今つながった」。

国内合宿は、大学→廃校→民宿→ホテルとなった。昨夏のW杯英国大会→アジア大会の連戦前には、自己負担なしで約1カ月の欧州遠征も敢行した。国際試合は17年度27試合→18年度46試合とほぼ倍増した。かつて成田空港で現地集合、現地解散だった海外遠征も今は成田空港組、関西空港組と分かれて、国内移動の負担が軽減されている。

今でもユニホームの支給は1人1着で、海外遠征では毎日、ホテルの部屋で手洗いする。「絞り過ぎてスポンサーのマークが消えないかが心配」と小野は笑うが、10年前は他球技の選手が使わなかったサンプル品が支給されていた。代表拠点の岐阜合宿ではチームバスがなく、個人所有の車に分乗して移動するが、かつてとは雲泥の差。小野は「ホッケーに関して不自由はないかなと思う」と言う。

ホッケー界はガバナンス強化→スポンサー獲得→チーム強化→国際大会での成果と好循環に入った。ただ協会は東京五輪後を見据えている。中村専務理事は「五輪が終われば、JOCの補助金は減る。浮かれている場合じゃない。五輪でメダルをとることが大切になる」。もう逆戻りはしたくない。美しく咲き続けるために「さくらジャパン」が20年東京五輪でメダルをつかみとる。


「女子ホッケーをもっとたくさんの人々に知ってほしい」。アジア大会優勝時の写真とボールを手に笑顔を見せる小野真由美(撮影・浅見桂子)
「女子ホッケーをもっとたくさんの人々に知ってほしい」。アジア大会優勝時の写真とボールを手に笑顔を見せる小野真由美(撮影・浅見桂子)

■マーケティングに「投資プロ」抜てき

日本協会は新たな人材を獲得し、ガバナンスや代表の強化につなげている。昨年7月に坂本幼樹(ようき)事務局長(45)が就任。米投資銀行モルガン・スタンレーでM&Aを手がけた坂本氏は主にマーケティング部門を担当。スポンサーとの関係にも心を砕く。同9月に女子4カ国対抗「SOMPO CUP」を開催。今年1月には高島屋とコラボで代表選手がホッケー教室を行う「夢袋(2万190円)」を発売。年末にはスポンサーを招待してアジア大会祝勝会も行った。

日本ホッケー協会の坂本幼樹事務局長
日本ホッケー協会の坂本幼樹事務局長

坂本氏は「ホッケーの価値をスポンサーや世の中にどう伝えるか」。現在はユニホーム背中側の下部に社名を入れるスポンサーを募集中だ。


■ファリーHC、目標は「ゴールド」

17年6月に就任したファリーHCは、東京五輪の目標を「ゴールドメダル」と表現する。強国オーストラリア出身で、16年リオ五輪ではカナダ男子を率いた。日本人の長所を「スピードある走り」とし高い位置からプレスする戦術を採用。1本100万円の戦術分析ソフトを入れたノートパソコン8台を使い、選手1人1人に試合を分析させてミーティングで発表させる。フィジカルに劣る日本が勝つには、走力と自発的な戦術理解が必須で「選手とは何でも言い合える関係でいたい」。「ハヤク!」など日本語も勉強。その上で「選手は代表に選ばれる、選ばれないに関心がある。代表候補の枠を広げて競争させていく」と方針は明確だ。

来日のきっかけは日本協会の大胆な手法だ。リオ五輪後の16年11月、協会は国際連盟を通じて年俸約1200万円で外国人代表監督を公募した。「日本人監督だとどうしても(所属チームとの)しがらみが出る。外国人監督はそれがない」と中村専務理事。42人の応募者から第1候補のファリーHCと契約。ファリーHCは「金メダルがとれるから日本に来た」。世界ランク14位の日本女子を率いる指揮官は壮大な夢を描く。

ホッケー女子日本代表アンソニー・ファリーヘッドコーチ
ホッケー女子日本代表アンソニー・ファリーヘッドコーチ

◆アンソニー・ファリー 1973年7月13日、オーストラリア生まれ。現役時代はインドアのオーストラリア代表で活躍。16年リオ五輪ではカナダ男子代表監督。17年6月から日本女子代表を率いる。


■プロ参戦は見送り

今年から国際連盟主催で「プロリーグ」が新設された。8カ国がホームアンドアウェーでリーグ戦を行っている。強豪国がこぞって参加しているが、日本は参戦を見送っている。参加条件に、大型ビジョン、ビデオ判定機具、4000席以上の観客席を備えたホッケー場や相手国に中継するためテレビ映像作製などがある。日本には高いハードルだが、中村専務理事は「条件さえ整えば参加したい」。


男子はサムライ「ゴールは城」

ジャカルタ・アジア大会で優勝したホッケー男子日本代表「サムライジャパン」
ジャカルタ・アジア大会で優勝したホッケー男子日本代表「サムライジャパン」

男子代表「サムライジャパン」も奮闘中だ。アジア大会は女子とのアベック優勝を達成。決勝のインドネシア戦は試合終了13秒前に劇的同点弾。サッカーのPK戦にあたるシュートアウト戦を3-1で制した。大会前に開催国枠で52年ぶりの五輪が決まったが、実力を証明。アイクマン監督は11年に任期途中で解任されたが「やり残しがある」と公募に申し込んで、17年6月に2度目の就任。日本文化に精通し「ゴールは城、GKは将軍、フィールド選手は大名だ。皆で将軍を守れ!」と選手を鼓舞。世界ランク18位で同14位の女子に負けない活躍を狙う。

男子日本代表アイクマンヘッドコーチ
男子日本代表アイクマンヘッドコーチ

◆ホッケー フィールドは縦55メートル、横91・4メートルの長方形。1チーム16人でフィールドに立てるのは11人。選手交代は自由。試合は15分の4クオーター制。五輪は男子が1908年ロンドン、女子は80年モスクワから採用。日本男子は32年ロサンゼルスで銀メダルを獲得した。


■来月チャレンジマッチ

日本協会は3月17日、駒沢オリンピック公園第1球技場で男女代表がそれぞれのU-21代表と対戦する「チャレンジマッチ」を開催する。ジャカルタ・アジア大会でアベック優勝した男女代表が東京で試合をすることで、ホッケーをより身近に感じてもらうことが狙い。64年東京五輪のメイン会場で、新しいジャパンが躍動。女子は午前11時、男子は午後1時に試合開始予定。