地元開催の五輪に向け、ひときわ、意義深さを持って出場を目指す男がいる。1964年(昭39)の東京五輪にも出場した馬場馬術の法華津寛(77)。20年東京五輪に出場すれば79歳で、100年ぶりに記録を更新し、史上最年長オリンピアンとなる。五輪挑戦のために単身ドイツへ渡り16年。「最後の挑戦」が幕を開ける。【取材・構成=三須一紀】
- 2020年東京五輪への意気込みを語る馬術の法華津(撮影・小沢裕)
2月上旬、法華津は14歳の愛馬ザズーと初めての試合に出た。ロンドン五輪後の13年に出合ったが、16年リオデジャネイロ五輪では調整が整わず断念。足かけ7年、慎重に「人馬一体」を育んできた。
「最短でも3、4年はかかる」。人と馬の意思疎通をゼロから始め、前、後ろ、斜め、回転などさまざまなステップを共同作業で完成させていく。そこに馬場馬術の難しさがある。日本馬術連盟は早ければ来月にも、東京五輪の出場条件を発表する考え。法華津もいよいよザズーとともに、五輪選考への第1歩を踏み出す。
「初試合だからザズーの緊張もあった」と上出来とは言えなかった。今年の夏ごろまでに3、4度、さらに試合に出場する意向。「どれだけブラッシュアップしていけるか。ダメだったらそこで挑戦はあきらめます」と、重いひと言を口にした。順調な仕上がりを見せれば次に、五輪出場基準を満たすための国際大会に出場し、五輪切符獲得へ一気にギアを上げる。
- 最年長記録は「意識しないと言ったらうそになる」
1920年アントワープ五輪。日本は大正9年だった。スウェーデンのオスカー・スバーンが72歳で射撃に出場した。法華津が来年、五輪に出ればその最年長記録を大幅に更新する。「意識しないと言ったらうそになる」と話す一方で「年齢が年齢だけにあと1年半、体が持つかも分からない。あまり期待されてもね」と笑った。
喜寿。「体はいろいろありますよ」と笑う。「『朝方症候群』と勝手に呼んでるんですがね。年齢のせいか、よし今日もやるぞ! というやる気が起きない朝が、たまにある」。左下半身の筋力が弱まっていることにも、最近になって気がついた。自分でメニューを組んだ筋力トレーニングで再び、最適な筋力バランスを取り戻そうと、努力を続けている。
64年(昭39)東京五輪の最終日、10月24日の国立競技場が原風景だ。当時出場した障害飛越の会場だった。「今でも馬術はなかなか観客が集まらないが、国立に入場してみるとお客さんでいっぱいだった。すごいなと。非常に印象深い」と今も忘れられない。「東京開催でなければオリンピックなど縁はなかった。ヨーロッパに船で40日ほどかけて馬を輸送していた時代。そんなお金もなかった」。自国開催が、23歳・法華津青年の運命を変えた。
30代半ば、動体視力などの衰えを感じ、馬場馬術へ転向。しかし外資系製薬会社での仕事など多忙を極め、84年ロサンゼルス五輪まで、五輪挑戦はできなかった。そのロスでは補欠。88年ソウル五輪では馬が検疫をパスできず、出場できなかった。
その過程で外資系医薬品会社の社長に45歳で就任した。50歳を過ぎたころに「リタイアしたら、本場ヨーロッパに行って五輪を目指そう」と心に決めた。社長を62歳まで務め、03年に定年を迎えると、妻子を残して単身ドイツへ渡った。08年北京五輪で、東京五輪以来44年ぶりの出場を果たし、12年ロンドン五輪も71歳で舞台に立った。
- 1964年東京五輪の赤いブレザーを披露する法華津
夢をかなえる一方、日本には年間30日ほどしか滞在しない。寂しくないのかという問いに、妻元子さん(71)は「言っても聞かないから」と笑う。隣で、東京五輪後、競技は続けないのかと聞かれた法華津は「妻に怒られる」とこちらも笑った。夫婦にしか分からない、暗黙の了解がそこにはあった。
44年、太平洋戦争が激化し長野・軽井沢に家族で疎開した。父が外交官だった関係で、大本営の移転計画があった同県松代に近かったためだ。「終戦後までいました。木に登って木の実をたくさん食べていた記憶、タンポポの葉っぱを調理して食べた記憶はあるけど(玉音放送は)記憶にないですね」。当時3、4歳だから無理もない。戦時中の記憶がある人物が、終戦から75年で迎える東京五輪に、トップアスリートとして挑む。その姿は、タイムマシンでもなければ、想像し得ないだろう。法華津も「わははは」と笑う。生身の体で時空を超えるような離れ業。続けてこられたのは「馬が好きだから」。短くも深い、7文字だった。
◆東京五輪における馬術 障害物を飛越、走行する「障害馬術」、演技の正確さや美しさを競う「馬場馬術」、馬場、クロスカントリー、障害の3種目を同一人馬で競う「総合馬術」がある。全て個人戦、団体戦がある。
法華津が出場を狙う馬場馬術は20×60メートルの長方形内で行う。「なみあし」「はやあし」「かけあし」という3種類の歩き方を基本に、さまざまなステップを踏んだり、図形を描く。演技内容がすべて決められている規定演技と、決められた運動(エレメンツ)を取り入れ演技を構成し、音楽をつけて行う自由演技がある。五輪などトップレベルの大会では「グランプリ」と呼ばれるクラスの競技が行われる。
左右の脚を交差させる「ハーフパス」、1歩ごとに脚を高く上げて前に進む「パッサージュ」、足踏みのような「ピアッフェ」、後ろ脚を中心にその場で回転する「ピルーエット」、1歩ごとに左右の脚を入れ替え、駆け足する「フライングチェンジ」などの技がある。
◆法華津と同年代=1940年(昭15)4月~41年3月生まれ=の主な有名人 円谷幸吉(マラソン東京五輪銅メダル)、王貞治(元プロ野球選手、世界の本塁打王)、荒木経惟(写真家)、大鵬(大相撲第48代横綱)、張本勲(元プロ野球選手)、麻生太郎(現副総理・財務相)、ジョン・レノン(歌手、元ザ・ビートルズ)、ペレ(元サッカーブラジル代表)、篠山紀信(写真家)、宮崎駿(アニメ作家、映画監督)、植村直己(登山家)(写真順=敬称略)
◇法華津寛年表と◆社会の出来事
1920年(大9)
◆8、9月 アントワープ五輪。スウェーデンのオスカー・バーンが五輪史上最年長となる72歳で射撃に出場
1941年(昭16)
◇3月28日 東京府牛込で生まれる
◆10月 東条英機が首相に就任
◆12月 日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争開戦
1944年(昭19)
◇秋 疎開先の静岡・伊東から、さらに長野・軽井沢へ疎開(3歳)
◆7月 サイパン島で日本軍全滅
◆8月 グアムで日本軍全滅
◆11月 松代大本営着工
◆12月 沢村栄治戦死
1945年(昭20)
◆8月 米国により原子爆弾が広島(6日)、長崎(9日)に落とされる
◇8月15日 法華津4歳時に終戦。9月ごろ、伊東に戻る
1948年(昭23)
◇秋ごろ 東京・練馬へ引っ越し(7歳)
◆6月 太宰治が玉川上水で入水自殺
◆11月 極東国際軍事裁判が結審
1953年(昭28)
◇夏 私立武蔵中学1年時(12歳)に軽井沢での林間学校に行った際、乗馬を経験。帰京してすぐ、父に乗馬をしたいと願い出て東京乗馬俱楽部(現渋谷区)入会
◆2月 NHKが日本初のテレビ放送開始
◆3月 衆議院バカヤロー解散
1959年(昭34)
◇4月 慶大経済学部入学(18歳)
◆5月 国際オリンピック委員会(IOC)総会で64年大会の開催地が東京に決まる
◆6月 巨人長嶋茂雄が天覧試合で阪神村山実からサヨナラ本塁打
1963年(昭38)
◇4月 日本石油入社(22歳)
◆11月 米ケネディ大統領暗殺
1964年(昭39)
◇10月 東京五輪に出場(23歳)
◆10月 東海道新幹線(東京-新大阪)開業
1965年(昭40)
◇夏 日本石油を退社し、米デューク大学大学院に留学(24歳)
1970年(昭45)
◆3~9月 大阪万博
◇11月16日 結婚
1974年(昭49)
◇7月9日 娘が誕生
◆10月 長嶋茂雄が引退
1976年(昭51)
◇動体視力に衰えを感じ、馬場馬術へ転向(35歳)
◆7月 ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕
1984年(昭59)
◇7、8月 ロサンゼルス五輪で補欠メンバーに。現地には行かず(43歳)
◆10月 柔道山下泰裕が国民栄誉賞受賞
1986年(昭61)
◇外資系医療医薬品会社を数社渡り歩いた後、同業種の外資系会社の社長に就任(45歳)
◆1月 スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故
1988年(昭63)
◇9月 ソウル五輪で代表になるも馬が検疫に引っかかり出場できず(47歳)
◆3月 青函トンネル開業、東京ドーム開業
2003年(平15)
◇社長退任、定年。馬術専念のため単身ドイツに渡る(62歳)
◆3月 米英によるイラク戦争開戦
2008年(平20)
◇8月 北京五輪出場(67歳)
◆9月 米投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻し、リーマン・ショックが起き、世界的な金融危機拡大
2012年(平24)
◇7、8月 ロンドン五輪出場(71歳)
◆5月 東京スカイツリー開業
2013年(平25)
◇11月 長年コンビを組んできた愛馬ウィスパーが死ぬ(72歳)
2015年(平27)
◇12月 初孫誕生(74歳)
2016年(平28)
◇愛馬ザズーの調整不足により、リオデジャネイロ五輪断念(75歳)
◆6月 イギリスの国民投票でEU離脱派が過半数を占める
◆11月 米大統領戦でドナルド・トランプ候補が当選
2019年(平31)
◇2月 東京五輪へ向け、愛馬ザズーとの初試合に臨む(77歳)
◆3月? 日本馬術連盟が東京五輪の出場条件発表
◆4月30日 天皇陛下退位、平成終了
◆5月1日 新天皇即位、新元号開始
2020年
◇8月 東京五輪出場なるか(79歳)