東京五輪・パラリンピック300回連載

「五輪の申し子」橋本聖子大臣が東京2020を語る

「五輪の申し子」が、2020年東京五輪・パラリンピック担当大臣に就任した。橋本聖子氏(55)は夏冬合わせて日本女子最多の7大会に出場し、3大会は日本選手団長として参加。64年東京五輪に合わせたように誕生し、19歳の初出場から40年近くも五輪とともに歩んできた。9月に就任したばかりの「真打ち」が、立場を変えて迎える五輪への思いを語った。


1992年アルベールビル冬季五輪で銅メダル獲得したパネルの横で2020東京五輪、パラリンピックの応援フラッグを持ち笑顔の橋本五輪相(撮影・柴田隆二)
1992年アルベールビル冬季五輪で銅メダル獲得したパネルの横で2020東京五輪、パラリンピックの応援フラッグを持ち笑顔の橋本五輪相(撮影・柴田隆二)

--いろいろな立場で五輪にかかわり、いよいよ大臣として携わるお気持ちは

橋本 今まではどうしても現場の人間という意識でした。選手、各競技団体の役員、組織委員会やJOCとして。しかし、今後は現場とは全然違う立場。大会成功は同じですが、担当大臣としてすべてをやり遂げなければならない。責任の重さは数倍以上ですね。

--大臣という立場で、東京大会に向けて思い描いていることはありますか

橋本 五輪・パラリンピックの持つ役割って何だろう、と多くの国民が思っていると思います。私自身、もしかしたらそれを追求してきた人間なんじゃないかと。自分の役割は五輪・パラリンピックが持つ本当の精神を発信すること。すごく緊張するとともに、アスリートと同じで達成への意欲はあると思います。

--大臣自身「なぜ五輪なのか」という問いに対する答えはお持ちでしょうか

橋本 はい。クーベルタン男爵が古代の五輪精神を復活させたのは「平和」への思いから。世界平和を願って、4年に1度開催すべきだと。いいものもあるけれど、負の遺産も五輪・パラリンピックの大きな力。反対意見があるのは当然だし、今までもそうでした。ただ途中で良さに気づき「やって良かった」というのも多かった。



--64年の東京は戦後復興のテーマがありましたが、今回の東京はどうですか

橋本 やはり、復興です。16年大会招致でリオに敗れたのは10年前。その後に東北の震災があって、それまで以上に絶対に五輪を開催し復興を遂げていく姿を見てもらわなければとなったんです。12年ロンドン五輪を目指す選手が東北で逆に勇気づけられ、史上最多のメダルを取ることができた。そういうドラマも開催を勝ち取る原動力になりました。

--そういう流れは、来年にもつながりますね

橋本 そうですね。経済や環境や治安をコンセプトにした大会もありました。日本はそれと同時に特に復興です。さらに、日本がどう変われるか。新たな持続可能な社会を作り上げていくために、それを示す最大のチャンスだと思っています。


--スポーツ人として、大会後への思いは

橋本 ずっと五輪に参加し、ずっと五輪・パラリンピックを見てきて、スポーツの持つ力は計り知れないと思うんです。私はスポーツは、あらゆる面において教育だと思っています。芸術であったり、文化、観光、医療もそうです。スポーツを中心にさまざまな産業と結びつき、新しい産業を作り上げる。そういう思いがスポーツ界になければ五輪・パラリンピックの価値も低くなる。まず、スポーツを成長戦略だと位置づけていくことです。



--そのスポーツ界、特に競技団体は東京大会が決まってから不祥事続きです

橋本 あらゆる問題がでてきている。昔のスポーツや体育は時代とともに変化し、成長していかなければいけない。もちろん、人づくりというスポーツの本当の良さ、神髄は守りながらですが。スポーツは教育であって、人材を育成する上でこれほどしっかりしているものはありません。精神と肉体を価値あるものに変えるのが五輪の哲学。スポーツ界は原点に戻って大会を迎えないといけない。

--東京大会では(98年長野大会の)スノーボードのように、価値観の違う新しい競技も入ってきます

橋本 古代の五輪精神を引き継いでいくことが大事であるのと同時に、その精神を守りながら変わっていくことには賛成です。サーフィンやアーバンスポーツといわれる新しいスポーツはファッション、文化など観客中心で成り立っています。これまでは分かれていた「する人」と「見る人」と「支える人」が一体となる。今までない形の中で安心安全に運営することを考えなければなりません。



--かつて、選手団長として腰パン騒動を起こしたスノーボード選手を守ったこともありましたが

橋本 競技の時の服装はいいんです。問題だったのは選手団の公式ユニホームだったから。今は選手団のユニホームを腰パンにする子は、さすがにいないですね。そこをちゃんとするのは、今度は山下(泰裕=JOC会長)さんに。

--あと1年を切って、東京大会に向けての準備状況はどうですか

橋本 夏のテストイベントや今真っ最中のラグビーW杯などいろいろな国際大会も検証して、今後の準備を進めていきたい。最後のところに来たかな、という感じ。オールジャパンで取り組んでいきます。

(聞き手=荻島弘一、近藤由美子)


◆五輪最多出場 橋本聖子の冬夏合わせて7大会は日本女子最多。男子はスキー・ジャンプ葛西紀明で8大会。世界最多は馬術イアン・ミラー(カナダ)で10大会、女子は射撃ニーノ・サルクワゼ(ジョージア)で、すでに出場を決めている東京五輪で単独最多の9大会目になる。


●橋本聖子●

◆五輪の申し子 1964年(昭39)10月5日、北海道早来町(現・安平町)生まれ。東京五輪開会式(10月10日)を国立競技場で見ていた父善吉さんが聖火に感動して「聖子」と名づけられた。

◆スケート 3歳から始めて中3で全日本選手権を初制覇。駒大苫小牧高入学後は全日本スプリント、全日本選手権で優勝など以後10年間はトップに君臨。

◆自転車 スケートトレーニングの一環だったが、ライバルのローテンブルガー(東ドイツ)の二刀流にも刺激を受けて挑戦。圧倒的な脚力で世界に迫った。

◆政界進出 95年の参議院議員選挙に自民党から立候補して初当選。現在は5期目。党女性局長、外務副大臣など歴任し、今年9月に国務大臣で初入閣。

◆スポーツトップ 日本オリンピック委員会副会長をはじめ、日本スケート連盟会長、日本自転車競技連盟会長など数多くの競技団体役員を経験。東京大会組織委員会理事も務めた。


<選挙が運動代わり 自転車100キロ楽々>

橋本氏は最近のスポーツへの取り組みについて「この前まで、選挙運動(=参院選)で走っていましたから(笑い)。これから早朝ウエートトレーニングなどもう1度、始めようかと思っています」と明かした。昨年7月、山梨県道志村や山中湖などを通る東京五輪自転車ロードレースのコースを視察を兼ねて試走した。「パッと乗っても、まだ100キロくらい走れますから。体がね、ペダリングを覚えているので、疲れない走法を知っているんですよ」と涼しい顔を見せた。

日刊スポーツが2020年東京五輪・パラリンピックに向けて毎週お届けする300回の大型連載です。ここでしか読めないスペシャルな話題満載です。

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