五輪は08年北京、16年リオデジャネイロと2度出ました。3度目を目指した東京五輪は3月に延期。その時は五輪会場の大井ホッケー場で代表合宿中でした。解散前に、アンソニー(ファリー監督)、スタッフが選手全員と面談しました。でも私は監督に「何か質問があるか?」と言われて、何もしゃべれなかった。

年齢も、右臀部(でんぶ)のけがもあって、競技を続けるか、迷いました。これがリオ五輪の前なら、30歳前半だったら、迷わずやっていた。でもこのままだと早い段階で代表から外れると感じた。4月にもう1度、アンソニーと代表マネジャーの3人で面談しました。監督からは「35歳までなら大丈夫だが、1年延期で、あなたを選ばない可能性が高くなる。厳しいトレーニングになる。36歳になるとあなたは厳しい」と言われた。

それから1週間、何が正しいのかわからなかった。これまでは直感で答えを出せた。ベッドの上でずっと天井を見て過ごしました。慢性的な痛みがある右臀部(でんぶ)は麻酔も効かず、寝返りで目が覚める。日常生活にも支障が出ていた。体が乗ってこないので、気持ちも乗ってこない。とにかく痛みがとれて、動ける状態になってから、判断したいと思いました。

そんな時に支えてくれたのがトレーナーの小林靖長さん(40)でした。19年6月からおつきあいしていた彼は「焦らなくてもいい。年齢もあるけど、ダメではない」とケアをして、リハビリに付き合ってくれた。

関係者の紹介で、順大で診察を受けました。そして「PRP(多血小板血漿)注射をやりましょう」と提案された。PRP療法は、自分の血小板を患部に補充して自己治癒力を促進します。4月と5月に1度ずつ治療を受けて、リハビリを続けると動くようになった。体が動くと、復帰に向かう気持ちにもなってきた。

コロナ禍の自粛期間中、1人だったらマイナスばかりでしたが、彼(小林さん)と一緒にいることでいいことばかり。彼は五輪後にプロポーズをしたかったらしいんです。結婚指輪の箱をパカッと開けて…。でも延期になってどうする? と。5月10日は母の日。お互いのお母さんのために、この日に結婚しました。

今後は8月以降に代表選考会が予定されています。もし落ちたとしても、3月に終わったのとではやめる時の気持ちが違う。監督に「必要ない」と言われてやめるのはいいけど、自分であきらめるのは支えてくれる人に失礼だと思います。やりきって努力して判断したい。少しでも長く代表でいられるように。もう自分のためだけではないんです。ホッケーをできるだけ多くの人に知ってほしい。そう思って東京五輪を目指してきた。私、まだ頑張れる、まだ頑張りたいんです。(312人目)