史上初の延期。最も影響を受けた印象が強いのは聖火リレーだろう。中止がグランドスタート2日前。新型コロナウイルス感染が拡大した2月以降、実施への不安が話題の中心だった。「沿道観覧の自粛要請」「過度の密集で中止」。採火式も引き継ぎ式も「無観客」。到着式も出発式も「無観客」。各県の市町村は、これらを報道や組織委の武藤敏郎事務総長の会見で知る。「寝耳に水」だった。

縮小、縮小、縮小。まるで延期へのカウントダウンのように。児童のイベントも中止。地元からすれば、身を削られていく思いだっただろう。激動のピークは23日から2日間。未明にIOCが「延期を含め検討」と発表し、東京・晴海の組織委では担当チームが深夜まで役員会議室に出入りした。幹部によると、表向きは「決行」も、内部は「来年も含めた」仕切り直しを議論。第1走者なでしこジャパンが出発した後に延期が決まれば、走者は1大会1回が原則のため走れなくなる-。全ランナーの参加を見送り、聖火ランタン車のコース巡回を考案した。

ただ、この代替案は日の目を見なかった。1日の間に状況が激変。組織委は各県側に24日午前、ランナー不参加の方針を「本日午後6時30分の会見で発表」と連絡。走者には午後3時すぎから順次通達した。が、同5時40分に会見が延期され、夜8時から安倍首相とIOCバッハ会長が延期決定。幻のプランになった。トップ級だけで空中戦が展開される中、県も市町村も走者も「どうなっているんだ」。組織委の現場も「仮に今回実施できた場合」の議論で、復興オリンピックの聖火リレー出発県として中途半端になった福島を、7月24日の開会式前に再訪し、一部やり直して救う案が「実現可否は別としても挙がっていた」(組織委幹部)。延期の急転ぶりを物語る。

約11万人が参加予定だったボランティアも翻弄(ほんろう)された。学生団体おりがみの都築則彦代表(25=千葉大大学院2年)。千葉県の聖火ランナーとして7月4日に柏市を走るはずだった一方、ボランティアとしては車いすテニス会場の運営を担う「イベントサービスチーム」に配属。3月上旬に組織委からメールがあったばかりだった。

「会場運営をしたかったので希望通り。うれしかった」。4月に2度目の研修を控えていた中、延期には理解は示すが「友人の中には今年休学した人、来年は就職活動と重なる人、卒業して社会人になり携われなくなる人も出てくる」。リレー走者も同様だ。福島県の実行委は「完全な形に戻れば幸い。プラスアルファの準備もできるかもしれない」と前も向くが、今後は参加予定者の救済や人員の補充が課題になってくる。

「TOKYO2020」と言うが、実際には広く日本国民が関わってきた。延期で地方にさらなる「責任」が生じる可能性が出てくる。追加経費の問題だ。安倍首相がトップ外交で決めた延期に対し、都や組織委はいっそうの国庫負担を求め、協議する見込み。3年前、各団体が費用分担で大もめした問題の再燃が懸念される。【木下淳、平山連】(つづく)