パラ水泳・宮崎哲コロナ禍乗り越えもう一度大舞台へ

  • 東京で2大会連続のパラリンピック出場を目指す宮崎(撮影・永野高輔)

コロナ禍を乗り越え、もう1度、大舞台を目指す。札幌市出身の宮崎哲(28=あいおいニッセイ同和損保)は知的障害を抱えながら、16年リオデジャネイロパラリンピックに初出場し、男子200メートル自由形10位。東京大会が1年延期となった際は、障害の影響で練習へのモチベーションが一気に落ちたこともあった。10月からは自身の生活に合った新たな練習環境を設け、母義恵さん(60)らの支えを受け、2大会連続出場に向け、トレーニングに励んでいる。

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消えかけた炎を、再び燃やし始めている。コロナ禍で宮崎が目指していた東京五輪・パラリンピックは1年延期。選考会もなくなり、ウイルス感染拡大の影響で4、5月はトレーニングに使っていた練習プールも閉鎖となった。知的障害の影響もあり、立てていた予定が変わると、対応に時間がかかるという。「虚無感があって。練習がうまくできなかった。選考会もなくなり、意欲がなくなった」と当時を振り返る。

体力を落とさないよう自宅での筋力トレーニングや、近くの厚別川河川敷でランニングを続け6月から練習再開。生後6カ月から水泳を続けており、1カ月半、泳がないというのは人生初の経験。「最初はうまく水に乗れなくて、水が重い感じだった」と言う。

難しい状況の変化。だが、再び大舞台を目指すために、乗り越えなければならないときもある。4年前から保険会社の事務補助をしており、午後3~4時前後まで働き、プールに移動するのが日課だった。だが、6月の練習再開後、利用していた札幌市内のプールの練習可能な時間が1時間遅くなったこともあり10月から、自由に時間を調整できる別のプールに拠点を変えた。母義恵さんは「生活リズムを崩さないようにしたかった」。練習を終え夕飯を食べ眠る。練習環境を変えても、生活の流れを極力、変えなくて済む形を優先した。

10年の世界選手権出場をきっかけにパラリンピックを目指し、今年で10年。東京でひと区切りつけるはずが1年延びた。12年ロンドン大会は代表権を得られず、16年のリオデジャネイロ大会は派遣標準には及ばない中、連盟推薦枠で出場。結果は予選10位で決勝に進めなかった。「悔しかった。東京では派遣標準を突破して出ること」と新たな目標を掲げた。

目指すのは来年5月に予定されている選考会だ。出場を目指すクラスの200メートル自由形の標準記録が1分57秒54、100メートルバタフライが58秒12。自由形はまだ約2秒の差があるが、100メートルバタフライは8日の秋季記録会(仙台)で59秒65の自己ベストを記録した。コロナ禍に耐えながら、地道に2度目のパラリンピックを引き寄せる。【永野高輔】

◆宮崎哲(みやざき・さとる)1992年8月19日、札幌市生まれ。4歳のときに自閉症の診断を受ける。水泳は6カ月から母義恵さんと自宅近くのプールに通いながら始める。北海道札幌高等養護学校時代の09年、初の国際大会、東京アジアユースパラゲームスに出場し100メートル自由形1位。10年ジャパンパラ水泳200メートル自由形1位、同世界パラ水泳選手権(オランダ)200メートル自由形6位。18年アジアンパラゲームス(インドネシア)100メートルバタフライ6位。家族は両親と姉。180センチ、74キロ。