元サッカー選手でJ2栃木SCやJ1サガン鳥栖などで強化責任者を務めた新里裕之氏(42)が、オーストリア2部ザンクト・ペルテンのジャパンスポーツマネジャーに就任し、新たなキャリアをスタートさせた。日本を活動拠点に、将来性豊かな高校生、大学生のスカウトはもちろん、子どもたちの文化交流やオーストリアと日本の企業の橋渡しなどマーケティング面にも携わっていく。

新里氏は重責に「実績として、日本人が海外のクラブともやれるということを示したい。オファーをいただいてやっているからこそ、対等の関係で価値観もぶつけ合うことができるし、日本人の良さを伝えられる」と意気込む。

新里氏とザンクト・ペルテンを結び付けたきっかけは、鳥栖のGM時代だった。21年、鳥栖U-18のFW二田理央(にった・りお=19)をオーストリア2部のインスブルックの練習参加に送り出した。プレーはもちろん、ユースで一番、まじめにウオーミングアップに励み「ここまで支えてくれた母を幸せにしたい」と真剣に話す、二田の人間性を見て、海外で成功すると確信を持っていた。

二田は練習参加を経て、インスブルックU-23(同3部)への加入を勝ち取る。その舞台で19試合21得点と結果を出し、トップにも呼ばれ5試合に出場し1得点。パリオリンピック(五輪)世代の日本代表にも選出された。Jリーグでは1試合わずか12分のみの出場だったが、海外で階段を駆け上がり、今年8月、ザンクト・ペルテンへの加入が決まった。

ザンクト・ペルテンは、かつて浦和レッズやヴィッセル神戸などでコーチ経験があるモラス雅輝氏(43)がテクニカル・ディレクターとして在籍している。モラス氏が、クラブの首脳陣に、二田を送り出した新里氏の話をすると興味を示され、現地でのミーティングを経て今回の契約に至った。クラブのマティアス・ゲーバウアーCEOは「アジア市場は多くのクラブにとって非常に興味深い。競技面と経済面において新たな可能性を信じ、この市場に注力することを決断した」と説明した。

新里氏は「欧州の中でもオーストリアはステップアップリーグ。(マンチェスター・シティーFWの)ハーランドもオーストリアを経て、ビッグクラブへ羽ばたいた。実際、二田は練習試合でジェノア、バイエルンのトップチームと対戦しているし、世界各国のビッグクラブが近くにある。2部でも5大リーグのスカウトが見に来ている」と、オーストリアサッカー界の魅力を語る。昨年5月、クラブがブンデスリーガ1部ウォルフスブルクと提携し、両首脳陣でミーティングを行う環境にある。ドイツにも活動の幅が広がると感じている。

今後の大きな使命は、二田に続く逸材のスカウトだ。既に、高校や大学のサッカーの現場に足を運び、視察を重ねる。全国大会出場校だけでなく、都リーグや県リーグなど、視察場所は幅広い。国内の指導者からは「欧州のサッカーは今、どんな感じですか」と興味を持たれるという。

「ホームタウンはインフラが整っていて安全な街。日本の選手がステップアップする環境をつくることが大事。選手が成長して、日本の選手が素晴らしいとなると日本の価値が上がる。そこに価値を見いだして協賛してくださる企業の方も現れてくる。みんなが切磋琢磨(せっさたくま)して選手をマネジメントして、最終的に、日本代表が強くなることに貢献できれば」。

今後、どんな選手がオーストリアへ羽ばたき、日本代表へと駆け上がるのか。新里氏の新しい挑戦はまだ、始まったばかりだ。【岩田千代巳】

◆新里裕之(しんざと・ひろゆき) 1980年(昭55)8月29日、沖縄県生まれ。宜野湾高校では元日本代表FW我那覇和樹と同級生。FWでコンビを組み、1年と3年で全国高校サッカー選手権に出場。九州共立大を経て群馬FCホリコシ、沖縄かりゆしFCでプレー。03年に琉球(現J2)を沖縄県3部リーグから立ち上げ、選手、コーチ、監督を務める。その後、秋田(当時JFL、J3)、栃木(当時J3、J2)、鳥栖(J1)で強化責任者を務めた。22年9月、オーストリア2部ザンクト・ペルテンのジャパンスポーツマネジャーに就任。(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)