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泣き虫山口総監督無念、私学の波に押され花園届かず

本格的な冬の訪れを待つことなく、京都の名門高校のシーズンは終わった。

花園出場を逃し泣きながら引きあげる京都工学院の選手たち(2019年11月17日撮影)
花園出場を逃し泣きながら引きあげる京都工学院の選手たち(2019年11月17日撮影)

11月17日、京都。碁盤の目の外れにある宝が池球技場。全国高校ラグビーの京都予選決勝は、京都成章が31-5で京都工学院を破り、6大会連続の花園切符をつかんだ。

ラグビーファンの間でも京都工学院の校名は、まだなじみがないだろう。だが、そのユニホームを見れば、懐かしい記憶がよみがえってくる。赤のジャージーに黒のパンツ。かつて高校生ラガーを震わせるほどに強く、荒々しかった、あの高校である。ドラマ「スクール☆ウオーズ」としても描かれ、今は亡き平尾誠二さん(享年53)や大八木淳史さんら、多くの日本代表を輩出。今年のW杯にもSH田中史朗とSO松田力也がメンバー入りした強豪校から、「伏見」の名が消えて2シーズン目になる。学校統合により京都工学院となった伏見工は、今年も花園の地を踏むことなく姿を消した。

今年のチームには自信があった。昨季は2年生主体で戦い、決勝戦のメンバーは、1年前とほぼ同じだった。浮き足だった開始4分にトライを許したが、すぐにモールを押し込んで食らいついた。

会場は満員。かつて、京都一の荒れた学校と呼ばれただけはある。その昔、やんちゃをしていたであろう、そんな面影を残すOBが大勢詰めかけ、立ち見客が出るほどだった。

前半の途中、ハイタックルで一時退場者を出した数分間に点差を広げられると後半はミスも重なり、攻め手を失った。それほど、力の差はなかったように思う。あったとすれば、5季連続で花園に出場している京都成章の選手が抱く確かな自信と、15年度を最後に花園から遠ざかる京都工学院の選手のどこか不安げな動き。スポーツにおいて、それが、経験とでも言うのだろうか。わずかな差は、大きな点差になっていた。

いつまでも涙を流す選手から、少し離れたところに同校の副校長でもある高崎利明GMはいた。初の日本一に立った80年度、平尾さんとハーフ団を組み、監督としても伏見工を支えてきた人である。話しかけると、遠くの山を見つめるように、悔しそうに言葉を絞り出した。

「完敗ですよ。向こうが1枚も、2枚も上やった。うちに勝つための準備をしてきたんやから。うちの良さを出させないように、やっていましたね、成章は。もっと激しくね。W杯で見せた、あのジャパンみたいに…。あんな激しさと勢いがなければ、やっぱり勝たせてもらえないんやね」

泣き虫先生こと山口良治総監督は、試合が終わるとすぐに会場を去った。76歳になった今でも、負けると悔しくて拳を握り、自分の足を殴りつけるしぐさをする。取材の受け答えをする気にもならなかったのだろう。

試合終了から少し時間を置いて電話を鳴らすと、深いため息が漏れてきた。

「残念やね~。ほんまに、無念で仕方がない。ラグビーは敵陣に行って試合をせなアカンのや。同じ攻撃ばかりをして、ミスをして。開始5分で(トライを)取られたらアカン。気力が足りん。勝ちたいという、気力が足りんのや。やっている相手は、同じ高校生やないか。成章は体が大きくて、いいチームやけど、そんな私立には、もう勝てない時代になってしまったんかなあ」

それは遠い昔、どこかで聞いたことがある言葉のような気がした。日本代表フランカーだった山口総監督が、伏見工の監督に就任したのは75年春だった。同年5月17日。初めて挑んだ公式戦で、伏見工は0-112で当時、私学の強豪だった花園高に大敗する。44年前、悔し涙を流しながら「相手は同じ高校生ではないか!」と生徒を叱った。ドラマ「スクール☆ウオーズ」でも描かれた名場面。当時も優秀な生徒を集める私立高校が、大きな壁だった。

「どうして伏見の名を(学校名に)残してくれなかったんやろうか…」

いつまでも、いつまでも、山口先生は電話口でため息をついていた。「伏見」は、たたき上げで私学に対抗する公立高校の象徴的な存在だった。高崎GMは「このままでは、どんどん向こうに生徒が集まってしまう。花園を、私学の大会にはしたくない」と言う。

年末に開幕する全国高校ラグビーは、京都だけでなく大阪代表も3校全てが私立。公立高校の日本一は、05年度の伏見工を最後に出ていない。

かつて全国屈指の強豪だった花園高を破り、日本一まで上り詰めた、あの不屈の闘志を。

もう1度、見せて欲しい。【益子浩一】

スポーツをこよなく愛する日刊スポーツの記者が、スポーツの醍醐味、勝負の厳しさ、時には心が和むようなエピソードなど、さまざまな話題を届けます。

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