アメリカンフットボールでも新型コロナウイルスの犠牲者が出た。最高峰のNFLで伝説のキッカーと言われたトム・デンプシーさんが、感染して合併症のため4日に亡くなった。73歳だった。生まれつき利き足の右つま先、右手の指4本を欠損していたが、ハンディを武器に記録も作った。
69年にセインツに入団し、70年のライオンズ戦で残り11秒に最長記録となる63ヤードの逆転FGを決めた。56ヤードだった記録を大幅に更新した。13年に1ヤード更新されるまで、43年間破られなかった。
今はサッカースタイルのインサイドキックだが、当時は真っすぐつま先で蹴るトーキック全盛だった。デンプシーさんは足の形に合わせ、つま先が平らの特製シューズ。違法の批判もされたが、79年シーズンまでイーグルス、ラムズ、タイタンズ、ビルズと5チームを渡り歩き、11年間プレーした。
MLB、NBA、NHLと合わせた4大メジャーで、NFLだけ日本人選手が誕生していない。初の選手を目指す日本人は80年代が最初。体格などの差からポジションはキッカーだった。近年、オービックWR木下がファルコンズのキャンプに参加し、最も近づいたと言われる。
今年は5年ぶりで日本代表を結成し、3月に米国のザ・スプリング・リーグ(TSL)選抜と対戦した。TSLはNFL入りを目指す選手の育成リーグ。16-36で敗れたが、選手には逆にもっと海外に挑戦しようという機運が盛り上がった。今最も近い選手は、IBMのキッカー佐藤敏基だ。
3月に米国でのトライアウトに挑戦した結果、NFL公認エージェントと契約を結ぶことができた。今後は各チームとの交渉が円滑となり、交渉機会が格段に増えることになる。
キッカーの大きなトライアウトは年2回あるという。実績あるコーチの主催で多くの関係者が集まる。佐藤はその1つで過去最高の結果を出した。参加したキッカーは32人で、名門ノートルダム大で歴代最多得点の選手もいたそうだ。
まずはキックオフ3本で最長78ヤード、滞空時間4秒越えをマークし、全体1位だった。FGは29~48ヤードまで7本をすべて成功。ミス2本以下の選手が50ヤード超えのボーナスステージに進み、佐藤は51、54ヤードをクリア。57ヤードで初の失敗も2本目を入れたが、61ヤードは外した。61ヤード成功は3人で同率4位だった。
その場でラムズのコーチから「いい仕事をした」と声を掛けられ、ダラスのスカウトも高評価していたと人づてに聞いた。1週間後にはエージェントと契約と、また1歩前進をすることができた。
早大学院でフットボールを始め、早大4年だった15年に大学日本一を決める甲子園ボウルに出場した。立命大に1点差で迎えた残り3秒。成功すれば逆転サヨナラで初の日本一となる52ヤードFGを外した。この挫折が挑戦の原点にある。
卒業後は不動産会社に就職し、IBMでプレーを続けた。そんな時に元NFLの米国人コーチに「挑戦してみないか」と誘われた。あの雪辱を果たすために一大決心し、会社を辞めて17年から挑戦を始めた。
昨年11月の東京ガスとのリーグ戦では、3人目となる日本最長タイの58ヤードFGをマークした。「日本一」の肩書を得たことは、何よりのアピールポイントと喜んでいた。ウエート、ティラピス、ヨガなどさまざまなトレーニングに取り組む。早大ではコーチを務め、週2回の英会話レッスンも受ける。
秋のNFLは開幕すら見えない状況だが、佐藤は「これからが本番」と力を込める。伝説の選手が亡くなった年に、新たな伝説を作れるか。あきらめずに夢を追う。【河合香】
(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)





