瀬戸大也(21=JSS毛呂山)が自己ベストの4分8秒50で金メダルを獲得し、日本人として初めて連覇を達成した。200メートルバタフライでは6位とメダルを逃し、200メートル個人メドレーでは決勝すら進めなかった。危機的状況の中から立て直し、本命種目で来年のリオデジャネイロ五輪代表に内定した。女子の活躍の一方で男子は低迷していたが、最後にケガで欠場したライバル萩野公介の穴を埋めた。

 レース前から体が自然と熱くなった。瀬戸は今大会不調だったことも、連覇すれば五輪に内定することも忘れた。「隣にいる選手に勝つ」ことだけを考えた。得意のバタフライからぶっ飛ばす。最初の50メートルでトップに立つと、2つ目の背泳ぎで一瞬トップを譲るが、平泳ぎですぐにトップを取り返す。最後の自由形では体1つ以上リードしてゴール。ライバルたちを圧倒しての連覇だった。

 苦しんでいた。5日の200メートルバタフライは早大の後輩で4位の坂井を下回る6位。続く200メートル個人メドレーでは準決勝14位と決勝すら進めなかった。得意のはずのバタフライのタイミングが合わない。「正直怖いです。大きな大会で、こんなに崩れたことはないので」と途方に暮れた。梅原コーチと話し合ったが、不調の理由は見つからなかった。

 五輪への強い思いが、歯車を狂わせていた。12年4月、ロンドン五輪選考会を兼ねた日本選手権。直前にインフルエンザを患う。代表権を失ったレース後、梅原コーチから「悪かったな」と謝罪されると、作り笑顔がゆがみ、涙があふれた。五輪ではライバルの萩野が銅メダルを獲得。だからこそ「金メダルより五輪出場権」と誓ったが、逆に体を硬くさせ、普段の泳ぎを見失った。

 個人種目のない4日間は、初心に帰り、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形と4泳法を基本からチェックしてきた。子供時代からライバル萩野に負け続けたことで両親から「あの子がいるから強くなれる」と言われた。以来貫くプラス思考で、不安と恐怖を振り払う。「今できることだけを考えて自分を信じた。五輪のことは一切忘れた」と集中し、ゾーンに入って決勝を迎えた。

 前回13年大会は本命だった萩野がいる中、ノンプレッシャーで取った。今回は違う。200メートルバタフライと同個人メドレーの不調については「神様が自分を強くするために与えてくれた」と話すと「調子が悪い中で、金メダルをもぎとれたことは大きな価値がある」と続けた。ロシア出発直前、欠場した萩野のいる都内の東洋大の寮に出向いた。「行く前に会って公介からパワーをもらおうと思った」。リオまで1年。2人の激しい五輪金メダル争いが続く。【田口潤】

 ◆瀬戸大也(せと・だいや)1994年(平6)5月24日、埼玉・入間郡生まれ。6歳の時に水泳を始め、個人メドレー、平泳ぎ、バタフライなどで活躍。埼玉栄高時代は高校総体では3年連続で個人メドレー2冠を達成。13年4月から早大進学。同年世界選手権では男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得。14年8月パンパシ、9月アジア大会200メートルバタフライ金メダル。家族は両親と妹。174センチ、73キロ。

 ◆世界選手権の競泳金メダル 1973年(昭48)にベオグラードで始まり、今回で16回目。日本競泳陣の金メダルは通算8個となった。内訳は、03年バルセロナ大会の北島康介が2(男子100メートル&200メートル平泳ぎ)、07年メルボルン大会の北島が1(同200メートル)、09年ローマ大会の古賀淳也が1(男子100メートル背泳ぎ)、13年バルセロナ大会の瀬戸が1(男子400メートル個人メドレー)、そして今大会は星奈津美(女子200メートルバタフライ)、渡部香生子(女子200メートル平泳ぎ)、瀬戸で過去最多の3つ。日本人の連覇は今回の瀬戸が初めて。五輪では04年アテネ、08年北京と北島が2大会連続の2冠に輝いている。