力強い仲間の中で、御所実のロック平井半次郎(2年)は思っていた。「しっかり形を作れば、いけると思った」。前半4分、ラインアウトからのモールで押し込み、奪った先制トライ。鹿児島・城西中から奈良に来た薩摩隼人(はやと)に手応えはあった。

名前は幕末の志士、薩摩藩の中村半次郎にいただいた。西郷隆盛の側近だが、通り名「人斬り半次郎」の方が有名か。「小さい時はなんで半次郎か知らなかったんですが、学校で勉強したり、父に聞いたりして…」。勇壮すぎるほどの名前だが「竹田先生(監督)も『おい、人斬り半次郎!』と呼んでくれます。もう慣れました」と笑った。

父淳さんの歴史、本好きは徹底している。平井は男ばかりの4人兄弟の末弟だが、長男継之助さんは「河井継之助」から、次男寿太郎さんは「小村寿太郎」から、自分と双子の三男悌次郎さんは「秋月悌次郎」から。明治維新前後に活躍した傑物ばかりだ。

かつて維新を夢見た半次郎のように、平井も夢を見る。4度目の決勝でもかなわなかった「御所実の日本一」へ。「1年後こそ、維新?」と聞かれて「はい!」と力強くうなずいた。