3度目の五輪、見えた! 16年リオデジャネイロ五輪男子400メートル個人メドレー金メダルの萩野公介(26=ブリヂストン)が、4分13秒32で2年ぶりに優勝した。五輪会場の東京アクアティクスセンターでの初試合。昨春の休養から復帰して以降で、初めて五輪派遣標準記録の4分15秒24もクリアした。復帰後も状態は一進一退だったが、ついに東京五輪への道がはっきりと見えた。

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最後の自由形で、グンと伸びた。「体はきつかったけど、勝つんだという気持ちだった」。これまで失速してきた種目で後続を引き離した。4分13秒32で優勝。タイムを見て、口角をぐっと上げた。強かった頃のあの「ニヤリ」が戻った。

本番会場の東京アクアティクスセンターで五輪を視界に捉えた。プールを照らす照明、1万5000人を飲み込む広さで、50メートルを短く感じた。「天井が高くてレースを忘れて『おー』と思った。1人の観客として感動した。プールに助けられた。来年が楽しみ」。

気づきもあった。国際競泳リーグ(ISL)に出場したブダペスト遠征。自由形の「新怪物」ドレセル(米国)を見た鈴木コーチに言われた。「(筋骨隆々の)ドレセルでさえ、力んでない。お前は力んでるよ」。16年に右肘手術から自由形の泳ぎが乱れた。「ヒジを守ろうとして腕が固まっていた。ここ数日はリラックスして泳げている」。つかんだ感触を、体現した。

苦闘だった。18年1月は疲労の蓄積で緊急入院。肝臓の数値が異常で医者に「動いたら死ぬ」と言われた。昨春はモチベーションの低下から3カ月の休養。復帰後も一進一退だった。今年2月のコナミオープンでは4分20秒42で4位。「レースが怖い」という気持ちがぶり返した。直後にISL出場を打診されたが「自分が役に立つのかな…」とちゅうちょした。迷い、悩み、それでも泳いだ。「何かのきっかけでずっと右肩上がりなんて、人生にはないじゃないですか。ちょっとずつ。時間が必要だった」。

一発勝負の代表選考は来年4月だ。400メートル個人メドレーは瀬戸が内定しており、萩野はこの日のタイムで瀬戸を除く最上位に立てば3度目の五輪が実現する。その瀬戸は女性問題で年内活動停止で今大会も不出場。「このタイムで代表が決まるとは思っていない」と言う萩野。またレースが怖くなることがあるかもしれない。それでも3度目の五輪に向けて、1歩ずつ進んでいく。【益田一弘】

 

<萩野のリオデジャネイロ五輪以降>

◆16年7月 400メートル個人メドレーで4分6秒05で金メダル。リオでは金、銀、銅とメダル3個を獲得。

◆同9月 右ひじ手術を行ってオフは回復に専念。

◆17年1月 東洋大卒業を前に、ブリヂストンと22年3月までの5年契約。

◆同4月 日本選手権400メートル個人メドレーで瀬戸に0秒01差で敗れて2位。

◆同7月 世界選手権ブダペスト大会に出場。個人メドレーは200メートルで銀、400メートルで6位とライバルのケイリシュに敗北。800メートルリレーで精彩を欠いて、レース後に号泣した。

◆18年1月 疲労の蓄積で入院。肝臓の数値が異常で医者に「動いたら死ぬ」と言われる。入院中に八甲田山雪中行軍遭難事件の本を読む。大隊長の指示に中隊長が意見できず210人中199人が死亡。萩野は「僕、中隊長の気持ちがわかるんです」とぽつり。

◆同4月 日本選手権で個人メドレーは200メートル、400メートルで2冠も、200メートル自由形は棄権した。

◆同8月 パンパシフィック選手権で個人メドレーは200メートルで銅、400メートルで銀。2種目とも2年連続でケイリシュに敗れる。連戦のジャカルタ・アジア大会は個人3種目で金なし。

◆19年2月 16日のコナミオープン400メートル個人メドレー予選で自己記録より17秒以上も遅い4分23秒66。決勝は棄権。大会後はスペイン高地合宿を回避。

◆同3月 日本選手権欠場を発表。「モチベーションを保てない」として休養期間に入る。7月の世界選手権韓国大会出場が消滅。

◆同6月 復帰宣言。「東京五輪での目標は、ずっとぶらさずに複数種目での金メダル」と口にした。

◆同8月 W杯東京大会で半年ぶりのレース復帰。「素直にうれしかった」。

◆同9月 シンガー・ソングライターのmiwaとの結婚が明らかになる。

◆10月27日 短水路(25メートルプール)日本選手権200メートル個人メドレーで優勝。得意種目での復帰後初Vに「力は出し切った。1番がとれて素直にうれしい」。

◆同11月 社会人選手権で200メートル個人メドレーに出場して1分58秒73で優勝。日本代表候補入りの基準タイムをクリアした。

◆20年2月 コナミオープン400メートル個人メドレーで4分20秒42の4位に沈む。「泳ぐ前から怖いという不安な気持ちがあった」。

◆同6月 コロナ禍での五輪延期について「もし東京五輪が来ていたらちょっと厳しかったと思う」と率直な心境を吐露した。

◆同8月 半年ぶりのレースとなった東京都特別大会200メートル個人メドレーで1分58秒20の1着。「復帰後では一番いいレース」。

◆同10月 日本短水路選手権で200メートル、400メートル個人メドレーで2冠を達成。2年ぶりの国際大会となる国際競泳リーグに向けて、ブダペストに出発した。

◆11月17日 ブダペストの競泳国際リーグから帰国。約1カ月で400メートル個人メドレーは5連勝。「この短期間で連戦して五輪に向けていい期間になった」。