2021年、スポーツ界にとってリスタートの1年が幕を開けた。男子テニスで元世界4位の錦織圭(31=日清食品)は、新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年、人生の転機を迎えた。19年8月の全米オープンを最後に右ひじの故障で実戦から離脱。その後、右ひじ手術、コーチ変更、さらに自身のコロナ感染を経て、約1年のブランクから復帰した。昨年12月11日には元モデルの山内舞さん(29)と婚姻届を出して結婚もした。日刊スポーツの単独インタビューで、錦織が20年を振り返るとともに、21年への希望を語った。【取材・構成 吉松忠弘】

21年、錦織は大きく変わる。20年末の最後のあいさつは、12月18日の結婚の報告だった。

錦織 私事ではありますが、かねてお付き合いしておりました山内舞さんと12月11日に入籍したことをご報告いたします。新しい伴侶を得て、再出発を期す来シーズンに向けて、しっかりと準備したいと思っています。

山内さんと交際して約6年。多くのことがあったが、錦織は愛を貫いた。

錦織 この5年ぐらい、何かのために、誰かのためにという責任感だったりは確実に増えている。もう変えられないが、なぜこんなに有名になってしまったんだろうと思う時もある。静かに暮らす方が自分には合っているんだけど。

5歳でテニスを始めて27年目、プロに転向して15年目。19年には30歳を迎え、意欲は衰えるばかりか、逆に上昇カーブを描く。

錦織 毎年、テニスに対する情熱は右肩上がり。なぜだか分からないが、強くなりたいという気持ちは、どんどん強くなっている。特に昨年は試合から離れていたので、試合をしたい、勝ちたい、大会に優勝したい、グランドスラムで優勝したいという気持ちは深くある。

20年は錦織にとって最もつらい年だった。19年10月に右ひじを手術。20年に復帰を予定したが、新型コロナウイルスの感染拡大でツアーがなくなった。

錦織 20年4月には準備ができていた。ただ、出場できる大会がなくなって、復帰できたのが9月。もう少し早くスタートできていたら、自分の感覚を取り戻せていたかもしれない。ただ、じっくり右ひじのリハビリができたのは、不幸中の幸いだった面もある。

自らも8月にコロナに感染し、出場予定だった全米を見送った。

錦織 最高37・9度まで熱が出て検査に行った。陽性と聞いてびっくり。発熱から4~5日ぐらいで動き回れるぐらいになった。ただ良くなってから味覚がなくなった。食べ物によっては土を食べているみたいだったが、それも4~5日で戻った。

時期が5月から9~10月に移動した全仏では、寒さと2度の5セット試合で右肩を痛めた。

錦織 米国で4~5人の医者に診てもらった時は、手術もという話が出た。結局、日本で右肩が少し前に出ていて、そのため肩の中で当たりどころが悪く炎症になると診断された。スマッシュやアタックを打ったりする肩より高く腕を上げる競技では起きやすい症状らしい。筋力やインナーを鍛え、肩を定位置に戻すリハビリをしていて順調だ。

プレーは19年から新たに指導を受けるマックス・ミルヌイ・コーチと、攻撃的な展開とネットプレーの向上に磨きをかける。

錦織 ジョコビッチみたいな堅く堅実なスタイルは、自分の良さが失われる。だからといってフェデラーみたいに、あそこまで攻めることはできないので、その中間ぐらいのイメージ。ネットに出る回数を増やすことより、ネットプレーでの得点率をあげたい。

21年は延期になった東京オリンピック(五輪)もある。五輪を結婚への区切りと考えていたこともあり、その思いは深い。

錦織 しっかり準備はしたい。ただ、今の状況だと選手も国民の皆さんも“五輪が”というのは考えづらいと思う。いろんなことが緩和されて良くなってきた時のために、気持ちの準備だけはしておきたい。

21年の目標はできるだけ早くトップ10に戻ることだ。昨年12月21日時点の世界ランクは41位。実戦を離れている間に、次世代の選手が多く出てきた。それでも自信はある。

錦織 時間はかかるかもと覚悟している。17年に右手首をけがした時も、100%と感じられたのは復帰して半年後ぐらいだった。それに、5年前に比べてトップ20の層がめちゃくちゃ厚い。トップ100でも強いなと感じることは多い。だから簡単ではないが、きちんとプレーができれば、トップ10に戻れるなと思っている。21年は再出発ですよ。