「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた映画評論家の小森和子さんが05年1月8日午前1時42分、呼吸不全のため、東京都港区麻布台3の3の9の601の自宅で死去した。95歳。テレビ出演を通して、故淀川長治さん(享年89)と並ぶ大衆的な評論家として活躍した。48歳で離婚して以来1人暮らしだったが、最近は認知症を患い、寝たきりだった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は養女晴子(はるこ)さん(58)。
小森さんは、眠るように息を引き取ったという。ヘルパー、友人と最期をみとった晴子さんによると、たんを吸引している際に容体が急変し、人工呼吸なども行ったが亡くなった。数年前から寝たきりになり、晩年話せなくなる前には、アラン・ドロンの話をよくしていた。たまに由紀さおりの歌や「瀬戸の花嫁」を口ずさむこともあったという。
生前「何もしないで、お花だけで送って」と話していたことから、密葬では白、黄、ピンクの花が用意された。棺(ひつぎ)には、好きだった犬の写真、愛用のスパッツ、訃報を聞いた米俳優ジョージ・チャキリス(70)からのファクスが入れられた。
放送局に勤務する夫と48歳で離婚。以来、1人暮らしを続けた。最近は介護を受けながら、月に2度の定期検診も受けていた。20年以上経営し、映画関係者の社交場でもあった東京・六本木のスナックも売り払っていた。
95年3月に自宅で顔、腕にやけどを負って以来、一線から退いていた。公に姿をみせたのは、98年11月、都内で行われた淀川さんの葬儀・告別式が最後。車いすで、淀川さんの棺を見守っていた。
「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた。商社勤務などを経て映画関係の原稿の翻訳をしていたが「映画の友」編集長だった淀川さんの勧めで、映画評論を始めた。40歳だった。
テレビやラジオの外国映画の解説で「おばちゃまはね…」と語りかける口調が人気を集めた。レギュラー番組の次回の映画紹介で飛び出す「(来週は)モア・ベターよ」というセリフは、流行語にもなった。
600人を超す米国スターと交流を持った。映画評論を始めて8年目、米女優シャーリー・マクレーンの自宅に居候したことがきっかけで、フランク・シナトラらトップスターと親密になった。ジェームズ・ディーンの熱烈なファンで知られたが、彼には1度も会ったことはなかった。
タレントとして奔放な発言も人気だった。テレビや雑誌の人生相談では、セックスに関するユーモラスで大胆な発言が話題になった。82歳の時、自分の性体験を赤裸々につづった告白本も出版した。
永遠の映画少女が逝った。
写真=車いすで淀川長治さんの通夜に出席する小森和子さん=98年11月12日
小森さんのモノマネで知られるタレント片岡鶴太郎 私の恩人。お茶の間に出るきっかけをつくってもらいました。「鶴ちゃんのものまねは好きよ」と怒らずに楽しんでくださった。おばあちゃん、おばちゃまではなく、お嬢ちゃま。チャーミングでした。(マネは)ご存命だったからできたこと。数々の失礼だったと身にしみています。(今後は)やりがいもないから難しいですね…。
映画評論家の水野晴郎さん 50年の付き合いになります。映画の楽しみ方をやさしく分かりやすく、教えていただきました。一方で開けっぴろげな方でもありました。病に倒れてから何度もお見舞いに行きました。僕だと認識はできたけど、全然話せない状態でした。でも「ローマの休日」など好きな映画は、ずっと画面をながめてご覧になっていたようです。
映画字幕翻訳家の戸田奈津子さん 分からない英語の意味を率直に聞いてこられるなど、常に前向きでどん欲な人でした。人懐こくて、誰からも好かれました。とにかく映画を愛していたという点では、淀川さんと小森さんの右に出る人はいないのでは。残念です。
写真=目にうっすら涙を浮かべ、会見した片岡鶴太郎