5大会連続出場の石田正子(41=JR北海道)が1時間32分6秒で日本勢最高の26位だった。

氷点下13度に横風で厳しい天候条件の中、懸命に前を追った。中間の15キロ地点を29位で通過。21・2キロ地点では最高19位まで浮上したが、首位と7分12秒3遅れでゴールした。最後はドイツ人選手と競り合い、写真判定によって順位が確定した。「頑張れたんで良かったかなとは思うんですけど、やっぱりスケーティング(フリー)なんで。クラシカルだったらあの集団っていうか、もっといけるのは間違いないんですけど。スケーティングはいけないですね」と振り返った。

初出場だった06年トリノ五輪から5大会目。今大会は15キロ複合と10キロクラシカルで27位、20キロリレーは最終的に11位だったが、1走を務めて3位でつなぐ力走を見せた。「オリンピックだから何とか、どうっていうのが、もう本当に私とか全然なくて」と特別意識はしていない。ただ、前回の18年平昌五輪後、自身の五輪での滑りをテレビで見て、地元の少年団に入って競技を始めた子どもがいると知った。モチベーションになった。

スキー競技では日本女子初の40代での五輪挑戦となった。長く続けるコツは「無理しないこと」。無理しなくても良い体を作り、現状の能力に応じた練習をしっかりやっていれば、少しずつその能力の幅が広がり、以前と比べたら1・1倍になっている。これが理想だと言う。実際石田は年齢を重ねても成績を残し、04年から今季まで19季連続で30位以内でのW杯ポイントを獲得している。

日本のエースとして君臨し続ける。ただその現状に危機感も感じている。「早く誰か強くなってくれればいい」と次世代の台頭を願っている。19-20、20-21年シーズンには女子で唯一の強化指定A選手でありながら、「ユース担当アシスタントコーチ兼強化指定選手」という異例の肩書で育成や指導にも力を入れた。自ら志願した挑戦だった。

今後については「ずっと多分やめることはないと思うけど、もっと何か楽しいことがあれば別にそれをやればいいと思う。わからない。何をするか。楽しいことをします」と自然体。ただ、試合後の夜に行われる閉会式は他の距離選手が出席する中、欠席を決めた。「次、また2週間後(試合)があるので。行くとマッサージを受ける時間がないので。しっかり受けたりした方がいいかなと思って」と、ケアを優先したためだ。次戦3月5日開幕のW杯オスロ大会(ノルウェー)に向けてすでに出発している。【保坂果那】