初出場の高校3年生、鍵山優真(18=オリエンタルバイオ/星槎)が日本史上最年少の銀メダリストになった。

ショートプログラム(SP)2位で迎えたフリーで201・93点、自己ベストの合計310・05点で米国のチェンに次ぐ2位。憧れの羽生、宇野を夢の舞台で上回った。五輪2大会出場の父正和コーチ(50)が届かなかったメダルを団体戦の銅も合わせて2つ獲得。26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪では1つ上を目指す。夜にはメダルセレモニーに参加した。

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鍵山が父を泣かせた。得点を待つキス・アンド・クライで正和コーチが涙をこらえ切れない。息子の優真は笑い、抱き合った。「一緒にうれしいことも悔しいことも経験してきたので、乗り越えて、五輪で自分らしい演技ができてすごく良かった。成長した自分を見せられて本当に良かった。そして銀。親孝行できたかな」とまた笑顔になった。

世界王者のチェンには及ばなかったものの、銀メダル以上が確定するとガッツポーズを繰り返した。思わず父も笑顔を取り戻す。そっくりだ。非公認ながら日本人初の4回転ジャンパーだった父譲りの、柔らかい膝。冒頭の4回転サルコーで4・43点のGOE(出来栄え点)を引き出すと、2本の4回転トーループで着実に点を稼ぐ。6日の団体戦で初成功した4回転ループこそ着氷が乱れたが、2試合連続で200点を超えた。合計スコアも、初めてチェンと羽生だけだった300点台の大台へ。「ここに乗らないと世界のスケーターとして一流とは言えない」。そう父から日々言われてきた次元に到達した。

2人で立った夢舞台。思い返せば、信じられない。18年6月23日、中学3年の時に父が脳出血で倒れた。一命は取り留め、約5カ月後に退院するまで優真は自分で練習を考えるようになった。病床でアドバイスを受けて、父は病院を抜け出して見守った。この日の3回転フリップに付けた3回転ループも、この時期に覚えた。正和氏は「セカンドループは教えていない。入院している時に自分で考えた」と成長に目を細めた。

20年には問いかけた。シニアに上がるかの親子会議で「羽生結弦、宇野昌磨を超える覚悟はあるか」と。息子はうなずいた。優真は「2人に勝つ」と言い続けたが、全日本選手権では3年連続で2人に敗れての3位。それでも指導を忠実に守った。父が回復し、初めて2人で海外遠征できた昨春の世界選手権では優真が父の車いすを押し、銀メダル。当時よりうれしい。五輪で父を泣いて喜ばせた。

優真は「銀メダルという結果は、この数年間、五輪を目指して努力してきた全てが詰まっている」と父とグータッチした。正和氏も「指導者としても親としても、息子が求めることが僕の目標であり夢」と感謝する。夢は始まったばかり。得点源になったサルコーとトーループは2年後に5回転を跳ぶプランまである。

20年はユース五輪で金銀メダルを獲得。2年後、最高峰の五輪で銀銅メダルをつかんだ。4年後に22歳で迎えるミラノ・コルティナダンペッツォ五輪へ、かつて父は「追われる立場になる」と予想したが、優真は違う答えだ。「チェン選手は無敵としか思えない。まだまだ。でも自分はもっと上がれると思っている。コツコツと成長できたら」。次は1つ上の金メダルへ二人三脚で進む。【木下淳】