17日にノルディックスキー複合団体で日本が銅メダルに輝いて一夜明けた18日、アンカーを務めた山本涼太(24)の所属する長野日野自動車と故郷・木島平村が喜びの声にわいた。

長野市にある長野日野自動車本社では前日、約30人の社員が応援用のバルーンや「涼太」と名前の入った手作りうちわを持ちながら中継するテレビ画面に声援を送ったという。個人戦のノーマルヒルでは前半ジャンプで首位に立ちながら、後半の距離で後続選手に一気に抜かれて14位に沈んだ。「ハラハラドキドキしました。後半の競り合いでなんとかついていけた。短い五輪期間で成長したんじゃないか」と同社スキー部の小池新治監督(63)は声を弾ませた。

山本は人事部に所属し、同社ホームページ(HP)の作成などをしている。仕事ぶりをみつめる上司は「主にスキー部での活動についてまとめてもらっている。とても真面目でしっかりとしたリポートを書く」と評価し「ジャンプに強いというイメージや名前と顔も知られるようになっただろうから、ワンランク上の情報発信をして4年後のミラノに向けてさらに頑張ってもらいたい」と期待を寄せる。

木島平村は長野県北側にあり人口4285人。山本は同村出身者で初のオリンピアンとなった。元スキージャンパーでW杯優勝経験もある湯本史寿さん(37)も同郷で、湯本さんの兄大光(ひろみつ)さん(41)が中心となって「銅メダル おめでとう」と書いた看板を作った。大町地区の道路沿いに看板は立てられ、湯本さんの父勝さん(70)が17日夜に文字を書き、18日正午すぎに大光さんら大町有志が「村が始まって以来の大事件だから」と看板を設置した。

山本の父直鋭さんも複合選手で、荻原健次長野市長(52)と同時期に北野建設に所属していた。5年前に直鋭さんは他界、山本は父の果たせなかった五輪に出場しメダルも獲得できた。山本が中学時代から通う木島平村のステーキハウス「デンバー」の三井喜実雄店主(68)は「涼太くんはいつもジャンボステーキ(250グラム)を食べていたね。なかなか太れない体質みたいで『肉を食べて外国人の選手に負けないように』とご両親には言われていたかな」と当時を振り返った。サインを書いてもらおうと色紙を用意したことがあったが「まだ、そんな選手じゃないし、サインも書いたことがないとやんわり断られましたが、3月に村に来るらしいから、その時は一緒に写真も撮りたいですね」と話した。【寺沢卓】