男子500メートルで、初五輪の森重航(21=専大)が34秒49で銅メダルを獲得した。14組でアウトからビクトル・ムシュタコフ(ROC)と滑り、スタートダッシュが得意のムシュタコフを果敢に追いかけ、100メートルを9・4秒で入ると得意のコーナーでも攻め切り、3位に食い込んだ。

地元中国の高亭宇が34秒32の五輪新記録で金メダル、車ミン奎(チャ・ミンギュ)が34秒39で銀。村上右磨(29=高堂建設)は34秒57で8位。新浜立也(25=高崎健康福祉大職)はスタート直後につまずき35秒12で20位に終わった。

森重は「自分の今日持てる力を発揮できたので、レースという点では本当に満足しています。3人メダル候補と言われる中で、誰か1人でもという思いで滑っていたので、その中でも自分が取れて安心しています」と安堵(あんど)の笑み。ムシュタコフのフライングでスタートがやり直しとなり「少しプレッシャーのかかるスタートになった」としながらも「その中でも自分のやりたいこと思うようにできたので良かったと思います」と振り返った。

昨年10月の全日本距離別選手権、同12月の五輪選考会でともに初優勝し、初参戦したワールドカップ(W杯)でも優勝を経験した。今季W杯ランキングでは2位で日本勢最上位で五輪を迎えるなど彗星(すいせい)のように現れたニュースターが、10年バンクーバー大会以来3大会ぶりに同種目でメダルをもたらした。

19年7月、母俊恵さん(享年57)が、がんのためこの世を去った。亡くなる4日前、森重の19歳の誕生日に残した「スケート、がんばれ…」という最期の言葉。大学で首都圏を離れられなかった森重は、その言葉をスマホ越しに聞いた。涙が止まらなかった。

「2日前からほとんど、しゃべれなかったからね。よく言えたなって」(父誠さん)。同21日、俊恵さんは旅立った。息子への深い愛情を残して。森重は振り返る。「頑張らなきゃと、強く思った。その年からスケートの成績がどんどん伸びていったんです。母が亡くなりスケートに懸ける思いが大きくなった」。

昨シーズンまでは「五輪なんて考えられなかった」というが、五輪選考会で優勝、W杯ランキングで日本勢1位という成績を残し「金メダルが必須だと思っている」と自覚が芽生えていた。

「リンクがきれいで気持ちが高ぶっています」とリラックスした表情で迎えた五輪初舞台。笑顔で表彰台に立った森重の視線は次の男子1000メートルに向けられた。「世界のシニア大会ではまだ1000メートルは未経験なんですけど、どこまでいけるか挑戦という意味でも全力で頑張っていきたいと思います」。森重が2種目のメダル獲得を照準に定めた。【三須一紀】

◆森重航(もりしげ・わたる)2000年(平12)7月17日、北海道別海町生まれ。8人きょうだいの末っ子で、同郷の先輩新浜立也と同じ別海スケート少年団白鳥出身。上風連中3年時に全国中学の男子500メートルを中学新記録で制し、1000メートルと合わせて2冠。山形中央高では18年全国高校選抜で500メートル、1000メートルで2冠。19年に専大進学。今季から初めてW杯に参戦し、昨年12月のW杯ソルトレークシティー大会で500メートル初優勝。W杯ランキング2位で北京五輪を迎えた。趣味は漫画、球技。175センチ、72キロ。