開会式で講談を―。日本の誇る伝統芸能が、東京五輪・パラリンピックを目指している。東西の若手講談師5人が「講談戦隊・伍輪者(ゴリンジャー)」を結成。五輪、パラリンピックやスポーツに関した創作講談で、定期的に公演を開いている。9月1日には第7回「口演」を中野小劇場で開催。結成の経緯から五輪開会式でのビッグプランまで、伍輪者の魅力に迫る。


■立ち上がった講談ブラック 1分後に選ばれし5人


 「東京五輪があるんだから、何かせなあかん。ここは勝負やろ、と」。伍輪者の発案者でまとめ役でもある「ビッグダディ」こと旭堂南鷹(44)は言葉に力を込めた。国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長が「TOKYO 2020」という紙を出した瞬間の決意。「もともと五輪や世界陸上など国際大会が好きで、開会式フェチ。講談をするのに、舞台としても最高じゃないですか」。それが、きっかけだった。

 落語や歌舞伎と同じ「日本の伝統芸能」だが、認知度は決して高くない。「歌舞伎は海老蔵さんが何か言えば、翌日の新聞に大きく出る。能狂言は、黙っていても独特の世界観が受け入れられる。でも、講談は無人島にいるみたいなものだから、自分から発信しないと」と南鷹。そして「1人じゃ戦えない。ユニットで戦わないと」と考えた。


 すぐに人選もした。南鷹は当時40歳。「大会の時は47になる。同世代はもういらんなと。それと大阪だけではなく、東西でやりたかった」。まず考えたのが田辺銀冶(34)。64年東京五輪の開会式をネタにした田辺一鶴さんの弟子だけに意味があった。「ルックスと知があったから」と説明した。

 神田山緑(40)は「新国立での開会式でやるなら、体が大きい方が少なからずいい」。以前から行動をともにしていた玉田玉秀斎(40)は「7カ国語話せるから、五輪で外国人向けに必要」。最後の1人は一龍斎貞鏡(31)。「サラブレッド中のサラブレッド。講談界全体で大事に育てなあかん講談師」だという。

 ロゲ会長の「トキョー」の1分後には5人を決めたという。「年齢的にもちょうどいい。ルックスやバックボーンもいい。これは行けると」。翌日、連絡すると4人とも即答。東西合わせて5協会が乱立する講談界で団体をまたいだ組織は異例だが「師匠たちにも恵まれた」。翌年2月に正式結成し、14年4月に第1回公演を実現させた。


■「芸人が五輪を目指したって、いいじゃないですか」


 「開会式で講談」が壮大な夢であることは、南鷹も認める。「開会式は大きな会場なので、言葉でなく動きで表現するものが多い。講談は圧倒的に不利」と言う。それでも「海外公演で驚かれるのは、座して発声すること。なぜ、座ってそんなに声が出るのかと。そんな日本独特の文化を発信したい」と胸を張る。

 具体的な開会式プランも明かした。「例えば聖火の到着前、アテネで採火されたものが日本に来て、各地をつなぐ。そのダイジェスト映像を講釈する。日本の芸能で速く的確に伝えられるのは講談しかない。お能だと原稿用紙1枚に何分もかかる(笑い)。ここに、いちるの望みがある」と、講談の強みを口にした。

 折り返した活動は、少しずつグレードアップ。次回は山緑が、パラリンピック競泳競技で金メダル5個を獲得した河合純一氏を題材に「河合純一物語」を披露する。「河合さんと話をしたら、パラリンピアンには知られていない話がたくさんあった。それを取材して伝えるのも、僕らの仕事」と意欲的。ネタは、パラリンピックにも広がる。

 開閉会式は「日本の伝統文化や芸能を世界に発信する場」でもある。講談も伝統芸能だが、ライバルも多く、道は険しい。それでも南鷹は「人から笑われるようなことこそが夢」と言った。「失笑を買っているかもしれないけれど、講釈師が夢を口にしてもいい。その魅力が五輪にはある。芸人が五輪を目指したって、いいじゃないですか」。今後は、ネット動画など活動の場を広げていくプランもある。「開会式で講談を」という夢を追う伍輪者、東京を目指すのは、選手だけではない。【荻島弘一】


<田辺銀冶(たなべぎんや)=ブルー>

 ◆色っぽくて型破り・講談スナイパー 1983年(昭58)1月24日、東京都生まれ。99年に田辺一鶴さんに入門。一時講談界を離れて3年間海外暮らし、日本文化の魅力を再認識した。持ち前の色気と自由奔放な芸風を持ち「エロ講談」で「FLASH」のグラビアも飾る。「東京オリンピック」を披露。


<玉田玉秀斎(たまだぎょうしゅうさい)=イエロー>

 ◆7カ国語話せる・講談カリビアン 1976年(昭51)11月30日、大阪市生まれ。前名は旭堂南陽。高校時代にスウェーデン留学の経験があり、大阪市大卒業後に講談入り。英語、ドイツ語、中国語など7カ国語を操る陽気なムードメーカー。次回は「世界を驚かせた男子バスケの挑戦」を聞かせる。


<旭堂南鷹(きょくどうなんおう)=ブラック>

 ◆異端児・講談ビッグダディ 1973年(昭48)6月13日、大阪市生まれ。高校時代にマイケル・ジャクソンの自伝に影響され、ストーリーテラーを目指す。競馬、ボートレースなどで新聞連載を持ち、テレビやイベント司会もこなすなど異端の講談師。第7回の出し物は「日本柔道の矜持」。


<神田山緑(かんださんりょく)=グリーン>

 ◆大きな体・講談バズーカ 1976年(昭51)8月28日、東京都生まれ。トヨタ自動車で営業マンとして活躍するも、退社して自ら起業。29歳で講談の道に進んだ。181センチの長身で、サーフィンが趣味。「怪談話」を得意とし、夏は大忙し。「盲目のメダリスト 河合純一物語」を演じる。


<一龍斎貞鏡(いちりゅうさいていきょう)=レッド>

 ◆サラブレッド・講談プリンセス 1986年(昭61)1月30日、東京都生まれ。祖父は7代目一龍斎貞山、父は8代目一龍斎貞山。08年に父に入門し、初の3代続いての講談師となる。端正な顔立ちで人気も急上昇、テレビ番組「笑点」など多方面で活躍する。第7回は「古典講談」を披露する。


●●講談アラカルト●●

 ◆起源 奈良、平安時代から仏教の教えを一般大衆に広めるために「読み聞かせ」が行われたのが講談、講釈の始まりといわれる。「平家物語」「太平記」など軍記物で広まり、江戸時代には多くの講談師が街角でつじ説法をした。

 ◆落語との違い 落語は会話でなりたっているが、講談は第三者として話を読む。釈台(しゃくだい)と呼ばれる小型の机を張り扇(おおぎ)でたたきながら調子良く語るのが特徴。

 ◆水戸黄門 テレビドラマなどで長く親しまれる物語も、多くは講談が元。水戸黄門は江戸時代に「黄門漫遊記」として講談で扱われ大ヒット。大岡越前や清水次郎長などもテレビやラジオのない時代は、講談によって一般に広まった。

 ◆80人 現在、国内の講談師は約80人で、うち3分の2が女性。東西5つの協会に所属して、前座、二つ目、真打ちと昇進する。


<64年東京五輪開会式の興奮を伝えた田辺一鶴>

 故田辺一鶴さん(享年80)を有名にしたのが、64年東京五輪後を講談にした「東京オリンピック」。テレビで見た開会式に感動し、その興奮を伝えた。歴史物などで戦いの場面を張り扇(おおぎ)のリズムに合わせて早口でまくしたてる「修羅場調子」が入場行進で生きた。真打ちになる前の35歳は一躍人気者になり、長く白いひげをトレードマークに、テレビCMにも出演。停滞する講談界で、一般視聴者に最も知られた講談師になった。

 一鶴さんは09年12月に肺炎で死去したが、持ちネタ「東京オリンピック」を大切にして晩年まで演じていたという。9月1日の講談伍輪者では弟子の田辺銀冶が「少しアレンジを加えた」という「東京オリンピック」を披露。


(2017年8月23日付本紙掲載)