五輪という名前は、研究家によると全国に70世帯ほどしかないらしい。その希少な名前の1人に歌手五輪真弓(67)がいる。名前がオリンピックに関連しているという理由のむちゃぶりの取材依頼だが、五輪は快く応じてくれた。オリンピックにちなんだ珍しい名前ならではの経験や64年の東京五輪の思い出、2020年への思いを聞いた。【中野由喜、太田皐介】


手で輪を作り、東京オリンピックの思いを語る五輪真弓(撮影・酒井清司)
手で輪を作り、東京オリンピックの思いを語る五輪真弓(撮影・酒井清司)

 まずは名前の由来だ。

 「長崎・五島列島に久賀島(ひさかじま)という島があって、そこに五輪(ごりん)という小さい村があるんです。父はその島の出身。由来はそこかと。分かりやすいでしょ(笑い)」

 五輪は東京で生まれたが、父は戦前まで五輪村で暮らした。村には歌手五輪のルーツも感じられる。

「父は島で漁師をしながら教会でオルガンやバイオリンを弾いていました。島には南蛮渡来の品がたくさん届いたのか、家にいろんな楽器がありました。晩年『真弓は俺の影響を受けた』と偉そうでしたよ(笑い)」

 当然、珍しい名前なりの特別な経験や思いもある。

 「小学生の時は恥ずかしくて。周囲から違う人種のように見られていると感じました。新学期には新しい先生に『ごわさん?』と呼ばれたりして6年間ずっと恥でした(笑い)。佐藤さん、鈴木さんという名がうらやましく、可能なら違う名前にしたかったです」

 貴重な名前と思えるようになったのは中1の時。64年の東京五輪がきっかけだった。

 「東京五輪の年に何かの教科書に『五輪の旗』という題名のページがあり、友達がみんな『五輪(いつわ)のことか』と騒いで一躍、人気者です」


 4年に1度、世の中に五輪の文字が乱舞する。

 「デビュー後、そういうのが自分の中につきまとっていましたね。デビューが72年(ミュンヘン五輪)で、当時、水泳の青木まゆみ選手が100メートルバタフライで金メダルを取ったんです。新聞には新人歌手がオリンピックにちなんだ名前をつけたらしいと報じられました。よく調べてよ、と思いました。その後、4年ごとに私にも特別な事があり、見えない五輪パワーが備わっていったように感じます。今では五輪の名前がエネルギーです」

 64年当時を思い起こすと、20年につながると感じることもあるという。

 「東洋の魔女と言われた女子バレーは印象的でしたね。背後に大松博文さんというすごい監督がいて『集団競技にスターやヒーローはいらない。みんなの精神力で支えられた6つの歯車がかみ合うことが大事』という趣旨の話をしていたのが印象的で覚えています」

 監督の言葉は平昌やリオでも生きていたと続けた。

 「平昌五輪で一番感動したのはスピードスケート女子団体追い抜き。チームワークが素晴らしい。選手も『自分の力じゃない。チーム全体、サポートしてくれた人も含めての勝利』と話していました。大松監督の言葉、そのままだなと。リオの陸上男子のリレーもそう。チームワーク抜群のうまいバトンパス。日本人ならではの技。どの国もできないことを思いつく力。20年も期待したいです。ワクワクドキドキの五輪になってほしい。世界中から集まる最強たちの最強のエネルギーがどう日本を元気にできるか楽しみです」

 最後に、もし20年の五輪のテーマ曲を作るならと聞くと、しっとりした曲の多い五輪から意外な答えが返ってきた。「音頭調がいいかな」。五輪はみんなのお祭り。日本は一体感が強みだからという。


 ◆五輪真弓(いつわ・まゆみ)1951年(昭26)1月24日、東京生まれ。72年にシングル「少女」とアルバム「五輪真弓/少女」でデビュー。80年シングル「恋人よ」が大ヒット。同年の日本レコード大賞金賞、NHK紅白歌合戦に初出場。同年から計5回出場。82年に香港スタジアムで初のワンマンコンサート。05年にインドネシア・スマトラ島沖地震(04年)の復興ソング「心の友」を発売。同国では第2の国歌といわれる。現在、デビュー45周年記念5枚組CD-BOX(通販限定商品)「五輪真弓ベスト~90SONGS」を発売中。84年に結婚、85年に長男、91年に長女を出産。


 ◆五輪(ごりん) オリンピックの訳語。発案したのは読売新聞記者だった川本信正氏。40年東京大会招致を目指していた36年、当時の「オリムピック」の表記が見出しに長すぎることが問題になった。見出しをつける担当者から相談を受けた川本氏は5大陸を表す五輪マークの5つの輪、さらに「オリム」と音が似ていることから「五輪」を発案。宮本武蔵の「五輪書」にもヒントを得た。新聞他紙もこれを採用し、特に新聞表記として定着した。ちなみに、同じ漢字の中国では、音に合わせて「奥林匹克」と表記している。