東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長(77)が新春第1回となる五輪特集でインタビューに応じた。財務事務次官や日銀副総裁を歴任した手腕で、未曽有の新型コロナウイルスによる大会延期を乗り越えようと闘ってきた。開催実現への展望や、財政のトップとして歩んできた半生を振り返った。【取材・構成=三須一紀】

地球儀に手を添え笑顔を見せる武藤事務総長(撮影・野上伸悟)
地球儀に手を添え笑顔を見せる武藤事務総長(撮影・野上伸悟)

徹底的対策で開催可能確信

-コロナでオリンピック(五輪)史上初の延期が決定した昨年を振り返って

「コロナは想定外のことで、本当に人生何が起こるか分からないという感じだった。3月に延期が決まって実際に私はホッとした」

-「ホッとした」と思った真意は

「経験がないものだから、我々もどうすべきか全く見当がつかなかった。その状況で延期となり、むしろホッとした。無理に頑張って聖火ランナーが走ったところで4月には緊急事態宣言になっていた。そうなっていたら聖火リレーどころではなかった」

-今、まさに第3波として日本や世界中で感染が拡大している

「第3波が収まっても第4波が出てこないとも限らない。実態をよく見極める必要がある。ただ極端なことが起こらない限りコロナは既に想定内のこと。徹底的な対策を講ずれば開催可能だと確信を持っている」

観客上限設定3月か4月に

-観客の上限を設けるかは春に決定する。具体的な期限は何月か

「3月か4月。できるだけ早く決めたい。ただ新しい状況としてワクチンがある。米国や英国では接種が始まった。日本では2月から始まるかもしれないといわれている中、状況がまた変わってくる可能性がある。それを見極めて観客の上限問題を判断したい」

-大会予算第5版(V5)ではチケット収入が19年12月に発表したV4と同額の900億円となった。最悪、無観客になった場合の想定はしているか

「無観客は(想定)していない。今後、観客上限を設けるかでチケット収入が変わる可能性はある」

アスリートのために実現を

-最悪のケースとして中止になるより無観客でも開催すべきか

「五輪はアスリートが鍛錬の結果を競い、それを通じて人類の共存共栄や平和を表す。五輪の基本的な概念は観客の有無とは関係ないだろうと私は思う。既にテニスやゴルフなど国際的なスポーツイベントがいくつも開催され、テレビで見て全く違和感なく感動的な場面や興奮する場面がある。私は観客がいなければ五輪ができないとは考えていない。ただ無観客は残念なことなので望ましくはない」

-昨年11月、日本で行われた体操の国際大会で五輪金メダリストの内村航平が「できないじゃなく、どうやったらできるかをみなさんで考えて」と発言し、大きな話題を呼んだ

「大変勇気ある発信だったと思う。選手のチャンスを奪うことだけは避けなければいけないと。何としてもアスリートのために実現すべき大会だ」

-コロナ対策として、開会式の入場行進の人数削減や時間短縮の実現性は。国際オリンピック委員会(IOC)との交渉は

「日々IOCと交渉している。今までと同じ開会式、入場行進で良いとは思っていない。IOCもだんだん理解してきている」

-放映権の問題で時間短縮ができないと聞く

「そういう言い方もされるが実際(米放送局の)NBCから困るという話を直接聞いたことはない」

-コロナ禍での大会開催となった場合、大会運営に関わる医療従事者の人員確保が難しくなるのでは

「コロナ前から大会のクリニックや医務室等に医師や看護師を派遣してもらうよう医師会と相談してきた。それは大体、めどが立っていた。しかし、コロナという事態になり、例えば、検査は医師が行う。今まで以上に医師の人数が必要になる。一方で、地域医療が逼迫(ひっぱく)していることから地域医療が手薄になることも許されない。その意味で非常に難しい交渉を今している」

大会医療従事人員を増やす

-地域医療に迷惑をかけない観点から、五輪に携わる医療関係者の人員を削減する可能性は

「減らすということは考えられない。増やすことを考えている」

-地域医療が逼迫した時は

「オールジャパンで考えないといけない」

-聖火リレーのコロナ対策として観衆の密集を防ぐ観点から、著名人ランナーの見直しが検討されている

「都道府県の実行委に著名人ランナーの3密回避策を検討してもらう。リレーは3月スタートなので1月には決めなければいけない。3密リスクが回避できれば著名人でも走っていただけると考えている。ゼロにすることはありえない」

インタビューに応じる武藤事務総長(撮影・野上伸悟)
インタビューに応じる武藤事務総長(撮影・野上伸悟)

当初は難色も森会長に頼まれ

-財務事務次官、日銀副総裁と財政のトップ街道を歩んできた経験から、今の日本社会が五輪を開催する意義をどう捉えているか

「スポーツを通じて人々の連帯を生む象徴として五輪があり、世界が平和を希求する。その理念はコロナがあっても変わらない。何で今の時代に東京でやるのかという意見があるのは承知しているが、やるとなった以上、五輪の価値を東京で実現することは非常に意義のあることだと思う」

-14年1月、事務総長に就任。森喜朗会長から打診された当初は難色を示したと聞く

「スポーツの世界を全く知らなかったから。森会長からは『最後のお国へのご奉公だと思って一緒にやらないか』と言われた。詳しく聞くとスポーツだけでなく、五輪という大きな事業をやるためのマネジメントが重要だった。何かしら貢献できるかと思い2、3日悩んでお受けした」

-森会長との関係は

「森さんとは昔から。私が石川県庁の総務部長を40歳ぐらいにやった時、森さんは地元選出の国会議員だった。総理になった時は財務省の主計局長で一緒にいろいろな仕事をやった。そういう因縁があるので(組織委で歩んできた道も)全く違和感はありません」

-子どもの頃の夢は

「中高時代は物理、化学、数学が好きで理系人間だった。おやじにも医者になれと言われていて、それで良いかなと思っていたが、血を見るととても恐ろしくて、これは医者には向かないなと。それで高校時代から文化系を志した。ただ思考の過程や論理の運び方において大好きだった数学が役に立った。法律論も原則的な仕組みがあり、その上に積み上げていく論理体系で人を裁くという意味で、共通点があると思って弁護士を目指した」

司法試験合格 東大→大蔵省

-東大在学中に司法試験に合格しつつ、なぜ大蔵省に入省したのか

「司法試験を受けた直後に公務員試験があった。僕の友人は司法試験を受けつつ公務員試験を受ける人が多くてね、それで何で受けないんだ? と言われて、それじゃ行ってみるかと受けた。新聞で見た知識だけど、大蔵省はこの国家を動かしているような面があると思ってたから大蔵省なら行ってみてもいいかなぐらいに思っていた。私が出した結論は弁護士はいつでもなれる。何も22歳でならなくても30歳でなってもいいかなと思ってね。自分に向かなかったらいつでも辞めようというぐらいのつもりで大蔵省に入った。でもそれが途中からは面白くなっちゃって、36年もしちゃった」

毎年予算編成印象深かった

-財務事務次官、日銀副総裁と華麗なる経歴で印象深かったことは

「毎年の予算編成。政治の選択を現実にするのが予算。政治がこうしたいと言っても予算が伴わなければできないことが多い。例えばコロナのワクチンを国民に打とうとなっても、ワクチンを買う予算、医療体制、場所などさまざまなことは予算を通して決められる。そういう意味で予算編成というのはどうしても政治とやりとりしないといけない。当時は『官僚主導』とか言われたけど、そんなことはあり得ないんですよ。ただ、どう政権が変わろうとも、変わらず必要なものがある。例えば社会保障や高齢者の人生をどのように守っていくのかということは理屈としてある。そういうものをきちんと主張することが役所の仕事だと私は思う」

-具体的に政治とやり合ったエピソードは

「政治家には自分の置かれた利害関係がある。分かりやすく言うと、文部省関係者は教育が大事だから『100億円の戦闘機購入をやめれば教員をどれだけ増やせるんだ』となる。一方で防衛関係者は『国家がなくなったらどうするんだ。国があっての教育だ』と、だから戦闘機が大事だと言う。具体的に言えないけど、本当に幹事長みたいな人とやり合った時に『もう2度と自民党の敷居はお前にはまたがせない』と言われたことがある。反論する余地はないわけだからそのまま帰ったんだけど、頑張れという電話をかけてきてくれた先生もいた。思いつきじゃなく、誰が考えてもこうということを言うとね、分かってくれる人もたくさんいた」

財務省などで培った百戦錬磨の経験を生かし、五輪開催を実現できるか。残り半年余り、その手腕に注目が集まる。

座右の銘「滴水穿石」を手に笑顔を見せる武藤事務総長(撮影・三須一紀)
座右の銘「滴水穿石」を手に笑顔を見せる武藤事務総長(撮影・三須一紀)

◆武藤敏郎(むとう・としろう)1943年(昭18)7月2日、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。開成高、東大法学部を経て66年大蔵省(現財務省)に入省。大学在学中に国家公務員試験上級甲種試験、司法試験に合格。00年に大蔵事務次官に就任し、中央省庁再編に伴い、初代財務事務次官に。03年に退官し、同3月に日銀副総裁。08年に退任後は大和総研理事長、開成学園理事長などを歴任。趣味は絵画。座右の銘は、努力を続ければ必ず事を成し遂げられるという意味の「滴水石を穿(うが)つ」。