決断の時が迫っている。3度目の緊急事態宣言が今月31日まで延長され、解除予定の6月1日には東京オリンピック(五輪)開催まで、残り52日となる。新型コロナウイルスの感染拡大は止まらない。東京五輪・パラリンピックの開催可否の国民的議論も急速に高まっている。その行方を政治の裏側から見た。

「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」と五輪開催を唱える菅義偉首相は7日、「1日100万人のワクチン接種」をぶち上げた。だが、すでに一部で医療崩壊とされる中、どうやって医師や看護師を確保するのか。政府はファイザー社から無償供与されるワクチンを五輪選手へ優先接種を明らかにしているが、国民より優先されることに日本選手からも疑問の声が上がる。大会期間中に約1万人の医療従事者の動員が必要とされる。組織委員会は日本スポーツ協会公認のスポーツドクター約200人をボランティアで募集し、政府は日本看護師協会に看護師500人の確保を要請したが、コロナ医療より、五輪を優先されることに医療関係者はもちろん、国民からも反論が出るのは当然だ。

スポーツと政治を切り離すことは建前でしかない。国民の生命と健康、生活を守るのは政治責任だ。IOCに開催権はあっても、国内の感染拡大、医療崩壊への責任はおよばない。最後は政治判断に委ねられるが政府はおよび腰だ。発足時は66%台の内閣支持率も、4月は44%台に下落し、政権発足から初の国政選挙で自民党は「3選全敗」。五輪直前の7月東京都議選、秋までの衆院選戦略の軌道修正が急務で、五輪決断は致命傷となりかねない。

五輪の熱気は人を魅了する。私の1964年の東京大会の記憶はおぼろげ。だが、大人たちがブラウン管テレビの前で興奮していた異様な熱量は忘れない。68年メキシコ五輪からは鮮明だ。小学校で五輪中継が始まると、授業を中断して教室でテレビ観戦した。吸いかけのたばこを持つ先生の手も震えていた。おおらかな時代だったが、五輪は日本社会をとりこにした。

88年ソウル大会の前から現場でアスリートを追ってきた。代表への道は少なからぬ犠牲を負い、勝者も敗者も人生をかけている。今回は白血病から奇跡の復活を遂げた競泳代表の池江璃花子選手の夢舞台を、かなえてあげたいと願う。

いざ開幕すれば、無観客であっても心を奪われるだろう。コロナ禍の先を見通すことは難しい。それでも決断の時は来る。「やって良かった」、あるいは「やれば良かった」となるのか、それとも「やるべきではなかった」となるのか…。残された時間は少ない。【社会担当 大上悟】