卓球東京オリンピック(五輪)代表の水谷隼(31=木下グループ)がインタビューに応じ、かねて不調を訴えていた目の近況について「悪くなっている印象」と明かした。レーシック手術がきっかけで試合中の球が見えづらくなる現象に約2年前から悩んできた。多くのサングラス、コンタクトを試しながらも先日、コロナ以前に通っていた眼科での治療を再開すると、最近では裸眼でのプレーに最も手応えを感じていることも明かした。苦悩の2年を振り返る。

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19年3月、自らの告白で水谷の目の不調は明らかになった。20年以降、表だって目のことは口にしていない。「自分の弱さを見せつけることは、相手に付け入るチャンスを与えてしまう。自分の問題なので自分で解決したかった」。

鋭い目でポーズをとる東京五輪・卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)
鋭い目でポーズをとる東京五輪・卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)

ショーアップされる昨今の卓球競技会場。コート周りにあるLED看板や、照明によるコートと客席の明暗差で、水谷はボールを正確に見ることが難しくなった。五輪までわずか2カ月半余りだが、状況は芳しくない。

「2年前より、悪くなっている印象。最近はLED看板がなくても普通の会場で見えづらい環境が多くなっている。(代表合宿をする)ナショナルトレセンでも見えづらい」

トレセンの卓球台に反射した照明の光がその原因だというが、他選手から同様の声は聞こえない。だからこそ最近では表だって言わず1人で悩み、自身で解決するしかないと言い聞かせてきた。

13年の全日本選手権。丹羽孝希に敗れた決勝で見えづらさを感じた。検査をすると右目2・0、左目0・3と、左右で大幅に視力が違っていた。まず左目のレーシック手術を受け、1・5まで回復。しかし18年ごろに「また見えづらい」と視力を測ると今度は右目が0・7ほどに落ちていた。

「昔、レーシックで良くなったから右目もやったら良くなるのでは」と思って同年に手術を受けた。現在の症状について医師や専門家からはレーシックが原因と言う人もいれば、そうでない人もいる。

ある医師からの診断によれば、水谷は暗い場所で普通の人より1・5倍、瞳孔が大きく開くという。だから客席が暗く、卓球台周りだけが明るい昨今の競技会場で視点を移すたび、余計にまぶしく感じる。さらに「レーシックの影響で角膜が少し凸凹しているから乱反射が起きている可能性があると、聞いている」という。右目(2度目)のレーシックについては「手術後に違和感が出たのは間違いない。もう少し考えればよかったなと後悔はある」。

ただ後には戻れないため最善策を模索。瞳孔(黒目)の部分まで覆うカラーコンタクトを試すと「視界が暗くなる分、ボール自体は見えやすくなる。でも暗いと回転などボールの繊細な部分が見えにくくなる」。

サングラスもいくつも試着し、試合に臨んだ。「視界は良いが、途中から汗で曇りパフォーマンスが低下する。サーブでボールを上げる時に装着部分の境目で視線がはずれて、ボールがずれる」。双方、長所と短所がある。

コロナ禍前に通っていた眼科に先日、久々に通院すると「治療を再開して明らかに視界が良くなった」といい「今は裸眼が調子が良い。このままいければ五輪は裸眼で挑みます」と本来の水谷が戻りつつある。「目のことも卓球のことも精いっぱいやって今の状態を受け入れる。オリンピックまでの期間、全力でやって、あとは試合で自由に卓球をするだけです」。卓球界のキングらしく堂々と言った。【三須一紀】

東京五輪への思いを話す卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)
東京五輪への思いを話す卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)

◆水谷隼(みずたに・じゅん)1989年(平元)6月9日、静岡県磐田市生まれ。5歳から父信雄さんが代表を務める豊田町スポーツ少年団で競技を始め、青森山田中-青森山田高-明大。07年全日本選手権シングルスを17歳7カ月で当時、史上最年少制覇。172センチ。家族は妻、長女。血液型B。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)