「東京に来るすごいヤツ」の第3回は16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)の卓球男子シングルスで金メダルを獲得した馬龍(32=中国)。五輪、世界選手権、ワールドカップ(W杯)の3大大会でシングルス、ダブルス、団体を合わせれば23冠という圧倒的な成績を誇るが、若い頃はなかなかタイトルが取れず「泣き虫マロン」とも呼ばれた。馬龍と対戦して勝ったこともあり、92年バルセロナ五輪から4大会連続で五輪に出場したレジェンド、松下浩二氏(53)が強さの秘密を語った。

19年4月、アジアカップでリターンする馬龍
19年4月、アジアカップでリターンする馬龍

精神面

04年に神戸で行われた世界ジュニア選手権で優勝するなど馬龍は10代の頃から頭角を現した。「中国の次のトップは馬龍だ」と言われたが、なかなか五輪や世界選手権で金メダルが取れなかった。09、11、13年の世界選手権シングルスは3連続で銅メダル。「無冠の帝王」と呼ばれた。

「メンタルが弱い」と冷やかされた。07年の世界選手権では中国勢で彼だけ、海外選手に敗れた。大会後、私が中国選手とご飯を食べに行くと馬龍は隅の方で泣いていた。先輩が「元気出せよ」となぐさめていた。

世界卓球2009男子シングルス準決勝 リターンする馬龍(09年5月4日撮影)
世界卓球2009男子シングルス準決勝 リターンする馬龍(09年5月4日撮影)

若い頃の馬龍は球は強いがとにかく粗削りでメンタルも弱かった。私も06年のワールドツアーで勝利(4-1)した。でもその時、打ち込んでくる強いボールが超一流だった。直感的に将来、世界王者になると思った。

初めてシングルスで世界一になれたのは15年世界選手権。長かった。若い頃に負けまくり、長い間悔しい思いをして努力を重ねたからこそ、長い間強さを保てているのだろう。新星のように現れて優勝した選手に限って、すぐ消える傾向にある。馬龍は15年から19年まで世界選手権を3連覇。五輪と世界選手権の王者のまま東京五輪を迎える。


技術面

フォアハンドドライブがとにかく強烈。球の回転量とスピードがすごい。相手選手は押されて台から下がってしまう。思っている以上に回転量があるから返球しても球が浮いて、馬龍のチャンスボールになってしまう。フットワークも良いから動きも速い。バックハンドはそれほどうまくない。試合展開が劣勢でも思い切って戦術転換ができる。それだけ引き出しが多いということ。ミスが少ない。


リオ時と東京時の違い

32歳、ピークは過ぎているが完成度は高いまま。勝ち方を知っている。長い間勝てなかった時代に培った経験と技術が今の馬龍の強さをつくっている。

馬龍 五輪と世界選手権個人戦
馬龍 五輪と世界選手権個人戦

攻略法はあるのか?

東京五輪で日本のエース張本智和(17)が馬龍を倒すには、展開の速さで勝負するしかない。先手を取って振り回すべきだ。フォアの打ち合いの展開になると相手に分があるだろう。馬龍にしっかりとした体勢で打たせないことで、得意の力強いボールを封じられる。

苦手のバックハンド側を狙うのも手だ。馬龍は回り込んでのフォアも得意だが、それもさせないぐらいの張本の速いボールで馬龍のバックを狙う。

2014年、世界選手権団体戦決勝 中国対ドイツ 優勝を決めた中国の馬龍は観客の声援に応える(14年5月5日撮影)
2014年、世界選手権団体戦決勝 中国対ドイツ 優勝を決めた中国の馬龍は観客の声援に応える(14年5月5日撮影)

中国の東京五輪代表は世界ランキング3位の馬龍、同1位の樊振東(24)がシングルス、3人1組で争う団体戦のもう1人は同2位許■(■は日ヘンに斤)(31)が選ばれた。確かに強いがシングルス、団体戦ともに中国に勝つチャンスがあると思っている。今回の中国はうまく世代交代ができていないからだ。

同4位張本には若さから来る爆発力を五輪本番で出してほしい。団体戦では2勝することが必要だ。同17位の丹羽孝希(26)はシングルスでの思い切りの良さを団体戦でも出せれば良い結果がついてくる。そしてチームの要はやはり同18位の水谷隼(32)。五輪4度目の経験は日本の精神的支柱。水谷の勝ち負けでチームの勢いは変わってくるだろう。

16年8月、リオデジャネイロ五輪の卓球男子シングルス表彰式で銅メダルを手に笑顔を見せる水谷隼(右)。左から銀メダルの張継科、金メダルの馬龍
16年8月、リオデジャネイロ五輪の卓球男子シングルス表彰式で銅メダルを手に笑顔を見せる水谷隼(右)。左から銀メダルの張継科、金メダルの馬龍

◆馬龍(ば・りゅう)1988年10月20日、中国遼寧省生まれ。5歳から卓球を始める。06年世界選手権団体戦ブレーメン大会で3大大会初優勝。五輪、世界選手権、W杯、国際卓球連盟(ITTF)グランドファイナル、アジア大会、アジア選手権、アジア杯、中国全国運動会、全中国選手権大会の主要9大会で優勝し、中国では「全満貫」と呼ばれるタイトルを達成している唯一の選手。17年12月に第1子が誕生。176センチ、70キロ。

◆松下浩二(まつした・こうじ)1967年(昭42)8月28日、愛知県生まれ。明大卒。93年に日本人初のプロ卓球選手に。ドイツ、フランス、中国リーグで活躍。全日本選手権男子シングルスで4度、ダブルスで7度優勝。五輪は92年バルセロナ、96年アトランタ、00年シドニー、04年アテネと4大会連続出場。09年引退。18年に発足したTリーグで初代チェアマンに就任。20年に同職退任。卓球メーカー「VICTAS」の代表取締役社長。

東京五輪の男子代表のポスターを前にする松下浩二氏(撮影・三須一紀)
東京五輪の男子代表のポスターを前にする松下浩二氏(撮影・三須一紀)

◆垣間見えた黄色い声援浴びる理由

<とっておきメモ>

19年12月、中国・鄭州で行われたグランドファイナルが幕を閉じ、中国選手団はホテルに併設するドイツ料理店で祝勝会を開いていた。同店に偶然居合わせた我々記者は、興味津々に世界王者・中国チームの宴会を気にしていた。

すると馬龍や許■といったトップ選手も続々、入店。中国語は分からないが豪快にビールを飲む許■が、ひょうきんな性格であることは一目で分かった。馬龍は競技時の印象そのまま、クールでおとなしかった。

中国・鄭州で行われたワールドツアーグランドファイナル終了後、ホテルで記念撮影する馬龍(右)と三須一紀記者
中国・鄭州で行われたワールドツアーグランドファイナル終了後、ホテルで記念撮影する馬龍(右)と三須一紀記者

試合後で疲れていたのだろう。馬龍は程なくすると、店を後にした。自然と私は後を追った。英語で「写真を撮っていただけませんか」と頼んでいた。普段は取材対象と写真を撮ることはほぼしない。しかし、この時ばかりはミーハー精神が勝ってしまった。

すると馬龍は「外は寒いだろう。中で撮ろう」とわざわざホテルのロビーにまで移動して、撮影に応じてくれた。クールで紳士。会場で圧倒的な黄色い声援を浴びる理由が垣間見えた。【三須一紀】

※■は日ヘンに斤