<漫画家 蛭子能収(67)>

 98年1月に、長野五輪聖火ランナーとして地元の長崎を走ったんですよ。でも走った覚えがあるくらいで…細かいことはサッパリ覚えてない(笑い)。恥ずかしがりながら、走ったと思うんだけど。東京五輪は、議論もいろいろあるんでしょうけど、日本もにぎやかになると思うし、やった方がいいと思うんですよね。

 前回の東京五輪(1964年)には、思い出があるんですよ。亀倉雄策さんが作られた、東京五輪のポスターに刺激を受けました。当時はデザイナーが活躍していた時代で、長崎商業高校の美術部にいた僕も、はやっていた商業デザインをやっていました。亀倉さんはドシッとしたデザインを作られる大御所。東京五輪のポスターは好評で、僕も見て勉強しました。

 ランナーがスタート位置に並んでいるポスターのデザイン、配置が斬新です。当時、一番好きなデザイナーは横尾忠則さんでした。でも、亀倉さんのポスターを見て、これが正当だ、と思いました。何でもかんでも個性がある、ではなく、みんなが格好いいと思える、全体に支持されるポスターを描けるのが、すばらしいと思ったんです。自分もデザインする時に、本当に考えさせられました。グラフィックデザイナーになりたいって強く思いました。

 卒業後、地元の看板屋さんに勤めた後、上京し、渋谷の広告代理店に就職しました。今回僕が出演した映画「日々ロック」(入江悠監督)は、地方のロック少年が東京を目指す話ですが、僕もそんな感じでした。デザイナーになりたかったのが、看板を取り付ける部署に配属されて…。でも同僚が作った漫画部に入り、雑誌「ガロ」(青林堂)の、つげ義春さんの漫画に衝撃を受け夢を漫画家にスライドして、描いて投稿し始めました。2回目に出版社に持っていった漫画が73年に「ガロ」で入選し、漫画家になりました。

 6年後の五輪のポスター? もし頼まれたらやるけど自分から積極的にはしないね。採用するか問う投票があれば、落ちるでしょう。えっ、ポスターやマスコットキャラを描いたら、ひともうけ? 新しく考えて描いてみようか(笑い)

(2014年11月26日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。