<落語家 三遊亭小遊三(68)>

 五輪を意識したのは56年のメルボルン五輪が最初。9歳だったけれど、その頃から卓球の記事をスクラップするのが好きだった。当時、卓球は五輪種目じゃなかったので、陸上や水泳、レスリングの記事をスクラップしていた。3段跳びで小掛照二さんが優勝候補だったけど、8位に終わって、がっかりしたことを覚えているね。

 五輪を一番身近に感じたのは64年の東京五輪で聖火ランナーに選ばれたことかな。僕にとっては大きな事件だった。山梨県大月市に住んでいたけど、大月はウナギのように横長なところなので、市で聖火ランナーは80人ぐらい選ばれていた。高校の運動部のキャプテンというのが条件で、僕も卓球部のキャプテンをしていたので、同じ高校から4人も選ばれた。

 当時は聖火ランナーとして走るといっても、学校で女の子から騒がれることもなかったし、当日も家族は誰も見に来なかった。小雨が降って、寒かったけれど、1・2キロをゆっくり走らないといけないのが、きつかった。翌日、地元の新聞に僕が走っている写真が掲載されて、その写真をもらったけど、それが聖火ランナーを証明する唯一の写真になった。その後、聖火ランナーをした人は国立競技場に招待されて競技を見たけれど、それがよく覚えていないんだ。競歩のゴールを見たように思うけれど、はっきりしない。

 88年のソウル五輪で卓球が正式種目になり、卓球協会の招待で見に行きました。92年のバルセロナ五輪、96年のアトランタ五輪も行ったけれど、アトランタでは福原愛ちゃん一家と一緒だった。その時から愛ちゃんと仲良くなって、12年のロンドン五輪で銀メダルを取った時はうれしかったね。

 五輪は世界選手権に比べて、華やかでソフトな感じがするし、お祭りのような雰囲気がある。世間も注目してくれるしね。20年の東京五輪の卓球は、愛ちゃんや石川佳純選手がチームを引っ張って、今、14歳の伊藤美誠選手らも成長しているだろうし、もっと若い選手も出てくると思うから、楽しみ。それに野球が正式種目になってほしい。五輪は特別なものだからね。また聖火ランナーをやりたいかって、よく聞かれるけど、無理だよね。格好良く走らないといけないから。(2015年6月17日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。