<NHKアナウンサー 工藤三郎(63)>

 五輪は夏と冬、各6回、計12回、現地で仕事をしましたが、今回、リオには行きません。外から五輪を見ることで、いろんなことを振り返る気持ちになっています。そんな中、五輪放送にはNHKの五輪実況アナウンサーに脈々とつながってきた糸のような伝統、魂があるように感じます。

 私が初めて夏の五輪に行ったのが92年のバルセロナ。400メートルで高野進さんが日本人では60年ぶりに陸上短距離で決勝に進出し、私が高野さんを「世界の8位」と言った五輪。その決勝前に、先輩が実況した準決勝を見て胸が熱くなることがありました。

 英のデレク・レドモンドというメダル候補が約200メートル地点で足を引きずり、それでもゴールを目指しました。途中、白シャツのおじさんが現れて彼を抱えました。彼は失格。それでも歩いてゴールを目指しました。係員がやめさせようとすると、スタンド中がゴールさせろと拍手。そのおじさんは彼の父親でした。

 五輪は勝つ人もいれば、勝てない人もいる。敗者にもドラマがある。スポーツの奥深さも。それも合わせて伝えるのが五輪放送と思いました。日本人だけでなく、世界の選手に視界を広げ、五輪の良さ全体を伝える。それが現地から初放送した1932年ロス五輪以来続けてきたNHKのスポーツアナの魂。

 勝てなかった人の話で言うと、水泳の古橋広之進さん。日本が参加できなかった48年のロンドン五輪が全盛期で世界無敵。でも参加できた52年ヘルシンキの400メートル自由形は8位。NHKの飯田次男アナが言ったのは「古橋を責めないでください」。アスリートそのものを最優先に伝えることを一貫して守ってきた。

 36年ベルリン五輪の水泳では河西三省アナが「前畑頑張れ」。当時はレースの客観的描写を入れるべきとの声もあったそう。でも五輪の空気を日本に伝える意味で歴史に残る名実況と思います。98年長野五輪の原田雅彦選手に私も「立て、立て、立ってくれ」と言いました。単なる応援ではなく、立つのが難しい所まで飛んだ大ジャンプだから。

 何を伝えるのがいいのか。スポーツアナは、周りの声に鍛えられて魂がつくられてきた。でもスポーツの純粋な無垢(むく)な良さは最初から変わらない。それを伝えるのがスポーツアナ。若いスポーツアナは魂を受け継ぎ、五輪に臨んでほしい。

(2016年7月13日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。