64年の東京五輪の記録映画を市川崑監督(享年92)が撮ることになり、当時7社あったニュース映画社から招集された164人のカメラマンの1人が私でした。

 映画「東京オリンピック」(65年公開)は1950万人を動員し、評判も論争も呼びました。選手の足元が急にズームアップされたり、最速を争う100メートル走が超スローモーションで再現されたり、当時映画館でかけられていたニュース映画では見たこともない映像ばかりでした。報道カメラマンをやっていた私たちにとって、「演出」そのものが初めてだったし、劇映画を撮っていた監督にとっても1000ミリ以上の望遠レンズを使うのは初めてで、初体験同士の試行錯誤の末にできあがったのがあの映画だったんですね。

 エチオピアのアベベ選手(41歳で死去)がマラソンで金メダルを取った翌日、監督が「昨日のアングルじゃ、ゴールに向けて国立競技場に入るとき、聖火台が映ってない。聖火台が入らなきゃ絵にならない」と言い出したんです。

 そこで、急きょアベベ選手を呼び出して撮り直すことになりました。彼は喜んでやってきて、聖火台が映り込む角度から撮り直したのですが「走っているように体を上下動させて」という監督の指示がなかなか伝わらない。カメラを載せたリヤカーを揺すったりしながら、それらしい映像に仕上げたというのが本当のところなんです。

 実は競技の当日、独走するアベベ選手を追いすぎて2位以下がフレームから外れっぱなしになっていました。日本の円谷幸吉選手(享年27)が2位にいるのが分かっても、カメラを載せたオープンカーをUターンさせることはできません。そこで、思いっきり逆走させたんです。警察も大会本部も激怒させることになったんですが、映像だけはしっかり撮れました。

 円谷選手は最後に抜かれて3位になりましたが、最終日のあの日に国立競技場に日の丸が揚がった高揚感は忘れられません。私の1番の思い出はやっぱり、マラソンなんですね。

 今度のオリンピックでも、新しくなった国立競技場で最終日にあんな光景が見られたら最高ですね。

 運任せの部分もあったし、むちゃもしました。今はドローンもあるし、撮影技術もうそみたいに進歩しました。当たり前のように自在な映像が撮れる。だからこそ、期待値が高くて撮る方はたいへんなんだと思います。53年前は秋のさわやかな空気を覚えていますけど、20年の夏は暑いでしょうしね。


(2017年10月25日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。