東京五輪の64年に馬事公苑騎手養成所(東京・世田谷区)に入所したのが15歳の4月。五輪に出る外国の馬が早めに来ていて、外国人選手の何人かと一緒に風呂に入ったり、飯も食ったよ。同期が16人いた僕たちは夏前に、馬とともに千葉の白井の分場(現競馬学校)に移り、そこで訓練していた。五輪が終わった11月に馬事公苑に戻ったんだよ。

 競技はテレビで見ていた。大松監督の日本のバレーボールはすごかった。金メダルを取ったでしょ。(福永)洋一もそうだし岡部(幸雄)も、みんなで見ていた。毎日の厳しいトレーニングと講習の中、五輪を見られたことでリラックスできたね。日本の成績も良かったし、感動していた。自分たちも、これから表舞台に出て行く。そういうのを見ながら気持ちも高ぶっていった。

 その時に白井に一緒にいたことで、同期の仲間意識がすごく強くなった。何をするにもみんなでやる。大松さんて、すごい監督だったでしょ。チームは「東洋の魔女」っていわれていたからね。バレーボールとか団体競技を見ていたこともあって、僕たちには結束力があったと思う。馬に乗る時も16人に規律があるんだよ。隊列を組む時に馬と馬の間隔を同じにして、1人でも乱れると怒られる。チームプレーだったね。今でも毎年のように集まる。絆は大事にしている。僕たち「花の15期生」の行動は先輩、後輩たちがうらやましがっている。去年、馬事公苑を新しくして五輪でまた使うということで訪ねた。みんなで馬場を歩きながら当時のことを話したんだ。

 3年後って、いろいろな種目がある。野球とかソフトボールが復活するし。できれば馬術の大会、馬事公苑に行ってみたい。東京でやるのは56年ぶりになるのかあ。同期のみんなで会って見たい気持ちがあるね。

(2017年12月13日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。