プロ入り前は、全日本チームに選ばれることが夢でした。僕が高校1年生の時に開催された84年のロサンゼルス五輪で、野球が初めて公開競技として実施されました。日本が金メダルを獲得し、次は正式種目になるかもしれないという機運もあったので、そういう場所で野球をやりたいと思っていました。

僕は甲子園出場は果たせず、高校までに世代別の日本代表に選ばれることもありませんでした。プロ野球選手になりたい夢はありましたが、その前に日の丸を付けてプレーしてみたいという気持ちの方が、実は大きかったのです。

中学時代に経験した国際試合が、世界の舞台へあこがれを強く持つきっかけでした。日本代表ではないですが、国立シニアでプレーしていた中2の年末に、調布シニアの補強選手として台湾遠征に参加しました。その時に異国の地で海外チームと試合をするのは、すごく楽しいと感じました。

だから、日の丸への思いも強かったのかもしれません。高3の秋、希望進路は社会人野球でした。日本代表に選ばれて五輪に出場したかったからです。余談ですが、88年のソウル五輪で銀メダル獲得に大貢献してプロに入ってきた野茂英雄は僕と同い年。社会人に行っていたとしても、僕が全日本に選ばれたかは、分からなかったですが…。

結局、僕は巨人にドラフト1位で指名されました。当時はプロ野球選手が五輪に出場できるようになるとは思ってもいません。五輪出場の夢か、プロ野球選手の夢か。究極の選択をしなければいけませんでした。悩んでいた時に、3つ上の兄貴(直明さん=53)が僕に声をかけてくれました。

「『JAPAN』というユニホームは着ていないけど、高校3年間は『NIHON』というユニホームを着たから、もういいだろ」

妙に納得してしまいました。母校の日大明誠のユニホームには胸の部分に「NIHON」とデザインされていただけですが…巨人入団を決心しました。その後、プロも参加する侍ジャパンができましたが、最終的には1度も日の丸を背負うことなく、現役生活を終えました。本当に残念な野球人生です(笑い)。

今はプロ野球選手が五輪に出られる時代です。選ばれた選手は全力で、自分のために、日本球界のためにプレーしてほしいです。もちろん、日本ハムの投手陣にもみんな、日本球界のトッププレーヤーになってほしい。そうなれば侍ジャパンに選ばれる人も出てくるはず。目指してほしいです。

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