球場全体の設備を年間通じて管理しているのがうちの部署です。改修工事も9割以上は完成。安心・安全をモットーに、お客さまに笑顔で観戦してもらえるよう、緊張感を持って夏を迎えたいと思います。

1965年(昭40)2月生まれ。前回の東京大会は、母親のおなかの中で歓声を聞いていたかもしれません。小さいころから野球好きで、球場やスコアボードの絵を描いていました。今思えば、野球というより、野球場が好きだったのかもしれません。

この球場から8キロくらいのところに住んでいて、自転車でプロ野球や高校野球を見に行きました。試合も何もないときに来て、塀を乗り越えてグラウンドを走ったことも覚えています。野球場に入れること自体がうれしくてね。高校まで野球部で、当時の部長の勧めで今の会社に入社しました。

オリンピックの思い出といえば88年ソウル大会の鈴木大地さん。(競泳男子背泳ぎ100メートル)決勝の日は、ここで先輩と2人、イベントの撤去作業の立ち会いをしていました。事務所のテレビで金メダルの瞬間を見て、大騒ぎしたことを覚えています。オリンピックってテレビで見るものだった。あんな感動が今度は生で、この器の中でやってくれるんだと思うとうれしいです。

このスタジアムがある横浜公園自体が、150年もの歴史がある中で、喜びや悲しみをいろいろと経験している場所です。大正時代には関東大震災で一帯が崩壊。復興事業の一環として野球場を建てようと、昭和4年に球場が完成しました。5年後には全米のオールスターが来て、ベーブ・ルースが、ここで2本ホームランを打ったらしいです。

終戦で米国に接収された時代もありましたが、それが解除されたときに「横浜公園平和野球場」という名前になりました。今の横浜スタジアムは、その跡地に建っているわけです。オリンピックはまさに平和の祭典。老朽化で解体はされましたけど「先代」も、どこかで喜んでくれていることと思います。

また震災からの復興と考えると、今大会の野球・ソフトボールは、福島あづま球場さんとの共催。福島で開幕し、こちらでファイナルを迎えます。メインタイトルは「TOKYO2020」ですが、大会を盛り上げるためにも、情報交換しながら、一緒にやっていきたいと思います。(287人目)