12・13は一二三の日だった!? 阿部一二三(23=パーク24)が24分もの激闘を制した東京オリンピック(五輪)柔道男子66キロ級代表決定戦前から柔道関係者の間では、決戦の行われる12月13日に阿部の名前の「一二三」が入っているなどと“数字”をめぐる奇妙なうわさが飛び交っていた。

19年世界王者の丸山城志郎(27=ミキハウス)とのワンマッチを制した17、18年世界王者の阿部は一夜明けた14日、オンライン会見で日程に「運命を感じた」と告白した。

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“令和の巌流島決戦”は24分間の死闘の末、阿部に軍配が上がった。柔道関係者の間では、講道館で無観客開催された世紀の一戦の12・13の“数字”にまつわる奇妙なうわさが流れていた。

66キロ級代表の最終選考会は当初、4月の全日本選抜体重別選手権(福岡)だった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大により延期に。代替の12月のグランドスラム(GS)東京大会も中止となり、今回の12・13日のワンマッチ決着に決まった。日程はGS東京大会の期間だった。ある関係者は「試合日に一二三の名前と年齢の23の数字まで入っている。たまたまだろうが不思議。12・3だったらとんでもないことになっていた」と冗談めかして言っていた。

死闘は異例の24分間で決着。生中継したテレビ東京の放送時間も超える大熱戦となった。別の関係者は「誰もが想定してない長期戦。しかも、試合時間は24分ちょうどで阿部選手の所属の『パーク24』の数字だ。こんなことあるのか」と驚きを隠せない様子だった。

阿部もこの日の会見で、一連の数字に関して「不思議とご縁がある数字ばかりで運命を感じた。自分の名前やパーク24が入ったり、何かいろいろなことが重なった1日だった」と告白した。

新型コロナ感染拡大がなければ、両者の対決は選抜体重別選手権の4月5日だった。これは丸山の父の顕志さん(55)が講道館杯を制し、92年バルセロナ五輪代表を決めた日。さらに丸山の兄で81キロ級の剛毅(ごうき、28=パーク24)の誕生日でもあり、丸山家にとって「運命の日」だった。

関係者は「この代表決定戦は歴史に残る死闘だった。両者とも正々堂々と素晴らしい戦いで多くの方が感動した。偶然が重なっただけかと思うが、奇妙な数字の恐ろしさも感じた。12・13は阿部家の『運命の日』だったのかもしれない」と話していた。【峯岸佑樹】