東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会のこの日2度目となる理事会が18日午後、都内で行われ、橋本聖子五輪相(56)が新会長に選ばれた。女性蔑視発言で辞任した森喜朗会長(83)の後任となる。

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強烈なリーダーシップだった。橋本新会長の出身競技で、日本連盟会長も務めたスピードスケート。18年平昌五輪では金メダル3個を含む、史上最多6個のメダルを獲得したが、14年ソチ五輪ではメダルゼロに終わっていた。低迷から救ったのは、その手腕が大きかった。

80年代から黒岩彰氏らと世界で活躍。98年長野五輪では清水宏保氏が日本選手初の金メダル。だが、その後は低落傾向が続き、ソチ五輪はメダルゼロ。入賞も88年カルガリー五輪以降では最低4と、どん底に。強かった過去が逆に、足かせとなり、伝統に縛られる面も、低迷に拍車を掛けた。

長らく危機感を抱いていた橋本新会長はスケート連盟会長として抜本改革を決意した。惨敗のソチ五輪から約4カ月後の14年7月、所属ごとのバラバラの強化体制を廃止。所属の枠を超えたナショナルチーム体制を確立する。日本人指導者にこだわる慣習も捨て、翌年5月には、強豪オランダからヨハン・デビット・コーチを招いた。

既得権益を打破したため、批判の怪文書が出回るなど、改革への抵抗は強かった。それでも「文句を言う人は必ずいるけど、ここ(政治)の世界に比べればまし」ときっぱり。直後に「キス騒動」はあったが、再建へ妥協はしなかった。抵抗勢力を新体制に加える「政治力」も発揮。平昌五輪での日本勢のV字回復を主導した。

夏冬計7度の五輪出場。「(選手が)強くなるためのわがままなら、いくらでも聞く」とアスリートへの思いは誰よりも強い。ドタバタが続き、コロナ禍で先の見えない東京五輪・パラリンピック。火中の栗を拾う役目としては、性別問わず、適任かもしれない。【田口潤】

 

橋本聖子(はしもと・せいこ)

◆生まれ 1964年(昭39)10月5日、北海道早来町(現安平町)

◆名前の由来 同年東京五輪開会式の聖火に感激した父善吉さんが聖子と命名

◆スポーツ歴 3歳からスケートを始める。駒大苫小牧高(北海道)-富士急行。冬季五輪に4度出場し、92年アルベールビル五輪のスピードスケート1500メートルで日本女子初の冬季五輪銅メダル。夏季五輪も自転車競技で3度出場。96年に現役引退

◆引退後 プロ選手だった95年、参院選自民党比例区から立候補して初当選。10年バンクーバー、14年ソチ、16年リオデジャネイロと五輪日本選手団の団長を計3回務める。19年9月に東京五輪・パラリンピック担当大臣に就任

◆家族 夫。五輪への思いも込め、聖火(せいか)、亘利翔(ぎりしや)、朱李埜(とりの)と名付けられた子ら三男三女。

◆座右の銘 細心大胆