白血病から復帰した池江璃花子(20=ルネサンス)が4冠を獲得した。元オリンピック(五輪)平泳ぎ代表で中京大教授の高橋繁浩氏は、池江の泳ぎの「進化」を指摘。限られた練習環境の中で丁寧に泳ぎ続けたことが、好結果につながったとみた。大会を通じて男女29選手が代表に内定。同氏は大病から復帰した池江とともに、新型コロナ禍を乗り越えた選手たちをたたえた。

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池江は素晴らしかった。結果はもちろんだが、泳ぎがよかった。スタートは筋力、体力不足で遅れる。この日の50メートル自由形でも、浮き上がりでトップに体3分の1ほど離された。それでも、泳ぎで逆転。以前のようにスタートでリードすれば、派遣標準記録や日本記録にも迫るほどだった。

もともと泳ぎはきれいだが、今大会は特に「ていねいさ」が目立った。病気で無理できず、練習時間も限られたはず。だからこそ、1かき、1蹴りに気持ちを込めてきたのだろう。体調が万全でなくても、自分の泳ぎは忘れなかった。

長く泳ぐトレーニングも必要だが、ただ距離や時間をかけても意味がない。力任せにならず、1ストロークの動きを大切に、しっかりとしたフォームで泳ぐことが重要。池江は復帰から短時間でそれをこなした。

疲れもあったはずだ。初日を見た限りでは、非五輪種目の50メートルバタフライなどは棄権するかもと思っていた。もっとも、8日間で記録を伸ばし、勝つことで自信も深めていった。「泳ぎたい」は「勝ちたい」に変わった。さらに「派遣標準を突破したい」とタイムまで求めた。アスリートの感覚を取り戻していた。

もし1年前に選考会が行われていたら、池江の女子自由形、バタフライも含めて顔触れは大きく変わっていたはず。男子平泳ぎは渡辺一平と小関也朱篤で決まった可能性が高いし、男子自由形の塩浦慎理も入っていただろう。逆に、この1年で急成長し、間に合った選手も少なくなかった。

普段の生活様式さえ変わる中で、モチベーションを保つのは難しい。水の中で育ったような選手たちにとって、プールまで閉ざされたのは大きかった。海外での高地合宿ができなくなるなど、これまでとは違う調整法に手探り状態にもなった。それでも、苦難を乗り越えて代表の座をつかんだ選手たちは立派だと思う。

池江はレース後のコメントも含めて、メッセージを発信し続けた。「努力は必ず報われる」「自分をほめてあげたい」。大病を乗り越えた泳ぎと言葉は選手だけでなく、多くの人の心に届いた。地元五輪代表の座を目指した8日間の「一発勝負」。池江をはじめ選手たちの懸命な泳ぎは、7月に向けてのポジティブなメッセージになったはずだ。(84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪平泳ぎ代表)