競泳東京オリンピック(五輪)代表の池江璃花子(20=ルネサンス)が14日、代表合宿中にオンラインで取材に応じた。

五輪開会式まで100日となり、さまざまな意見があることを理解した上で「(五輪が)あるならあるで、全力で応援してほしいなと思います」と願いを口にした。他競技から勇気をもらった経験を語り、アスリートとして、ベストを尽くすことを誓った。20歳は、人々に共感を呼び起こすスポーツの力を信じている。

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日本選手権4冠から4日後。池江はオレンジ色の代表ジャージーで取材に応じた。開会式まで100日となって「あっという間。7月まであと3カ月。何秒縮まるか、ワクワクもある」。その上で、コロナ禍での東京五輪について言った。

池江 必ずしも皆が皆、ポジティブにとらえているわけではないかもしれないけど、私の中でスポーツ選手を見て、勇気をもらっている人もたくさんいるんだなと実感している。自分自身も、スポーツで勇気や力をもらったことがある。今は大変な時期ではあるけれど、勇気を与えたい。全力で泳ぐのは当たり前ですが、今、このスポーツの力を皆に届けて、どんどんよりよい気持ちに、日本中だけではなく、世界中がそういうふうになってほしいなと思います。(五輪が)あるならあるで、全力で応援してほしいなと思います。

力をもらった存在がある。18年平昌五輪でけがを乗り越えて金メダルの羽生結弦。「すごい。私も頑張りたい」とその日のレースで200メートル自由形で日本新。また親交がある競泳女子のサラ・ショーストロム(スウェーデン)は2月の右肘骨折から動きだしている。「もう泳いでいる。さすがだなと思う。サラの分まで練習を頑張りたい。サラにも早く戻ってきてほしい」。選手が一心不乱に取り組む姿に、胸を打たれている。

何度聞いても、切なくなる。東京五輪のヒロイン候補が19年2月に白血病。抗がん剤治療が始まった同3月には「2週間半ぐらいベッドから動けず、点滴で栄養をいれた。生きてることがしんどいなと思って。耐えられなくて母に言ってしまった。母は悲しんでいた」。パリ五輪を目標に再出発。最初は免疫力が低下してプールに入れず、治療の影響で骨がもろくて激しい動作はできなかった。「骨が硬くなった、免疫力が上がった。病院の検査さえもモチベーション」。そして4月に驚異の8日間を走り抜けて、代表を手にした。

大会後は病院で体調について「何も問題ありません」と診断された。リレー代表としてチームに貢献する覚悟。五輪1年前の昨年7月、国立競技場に立って「1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなにすてきだろう」と願った。その願いを胸に抱いたまま、アスリートとして7月23日に備える。【益田一弘】

◆池江の日本選手権VTR 8日間計11レースを泳いで4冠を獲得した。4日に100メートルバタフライで優勝&リレー派遣標準記録を突破。400メートルメドレーリレー代表に内定。涙を流して「つらくて、しんどくても努力は必ず報われるんだな」と大粒の涙。8日は100メートル自由形で再び優勝&リレー派遣標準記録。400メートルリレー予選は開会式翌日の7月24日で「初日の流れは日本チームにとって大事。自分が引っ張っていくつもりで」と意気込んだ。最終日の10日は50メートルのバタフライと自由形でV。大会4冠でリレー2種目の代表内定。「決まったから自分の使命を果たさなきゃいけない。リレーがメインになると思うが、チームに貢献したい」と夏を見据えた。