【アテネ19日=三須一紀】幾多の困難を乗り越えて、ついに、56年ぶりに東京五輪の聖火が日本にやってくる。

新型コロナウイルスの世界的感染拡大の中、聖火引き継ぎ式が、第1回近代五輪(1896年)会場のパナシナイコ競技場で行われた。大会組織委員会の森喜朗会長らが新型コロナウイルスの影響で渡航できない中、わずか1日で抜てきされた96年アトランタ五輪競泳代表で国連児童基金(ユニセフ)の教育専門官、井本直歩子さん(43)が日本側の代表として、聖火を受け取った。20日、航空自衛隊松島基地(宮城・東松島市)に到着する。

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紀元前に古代ギリシャの中心として建てられたパナシナイコ競技場は、異様な空気に包まれた。周囲には何十人という警察官が配備され、5万人を収容するスタンドは無人。それでも、数えられるほどの関係者が見守る中で、聖なる火はギリシャから開催地の日本へと引き継がれた。

新型コロナの影響で1時間25分の式典は、約25分に短縮。聖火を持ち帰るはずだったオリンピック(五輪)男子柔道3連覇の野村忠宏氏も、同女子レスリング3連覇の吉田沙保里氏もいない。EXILE・HIRO監督の日本側文化パートで踊るはずだった子ども約140人も、ギリシャの地を踏めなかった。

欧州連合(EU)が第三国からの入国を封鎖し、ギリシャ国内も飲食店の閉店、スーパーの入場制限など、異常事態が続く中、聖火は奇跡的に引き継がれた。

組織委の森会長に代わりギリシャ・オリンピック委員会のカプラロス会長から聖火を受け取った井本さん。競泳代表として出場したオリンピアンはアテネに在住し、難民の教育支援などに従事している。森会長らの渡欧中止が決まったのが17日の夜。過去にも組織委のイベントに参加していた関係で、大役が決まった。

日本を意識した赤いブレザーに身を包んだ井本さんが高々とトーチを掲げた。抜てきに「頭が真っ白になった」。聖火を受け取った瞬間、元選手として「今、選手が大変だと思う。聖火を持った瞬間、選手のことを思った」。

14歳から国際大会で世界を回り「戦争や貧困で苦しんでいる国の選手を目の当たりにし、途上国について勉強した」と、引退後は国際支援の道に進んだ。16年からギリシャで従事する難民支援も「新型コロナで今が一番大変」と明かす。

まさに平和の懸け橋となっている井本さんが聖火を日本へつないだ。コロナ禍に世界が揺れる中でも、五輪の目指す平和の火は変わらず高々と燃える。聖火リレーのコンセプトは「希望の道を、つなごう」。東京五輪の成功に向けて、世界の希望を乗せた火が、いよいよ日本を照らす。

◆井本直歩子(いもと・なおこ)1976年(昭51)5月20日、愛知県生まれ。3歳から水泳を始め、94年広島アジア大会50メートル自由形優勝。96年アトランタ五輪800メートルリレー4位。00年引退後に英マンチェスター大学大学院で「紛争・復興支援」の修士号を取得した。国際協力機構(JICA)でガーナなど各国で活動。07年に国連児童基金(ユニセフ)職員となり、現在は教育専門官としてアテネに在住し、難民の教育支援に従事している。

○…64年東京五輪の聖火引き継ぎ式は、同年8月22日にアテネ南部のヘレニコン空港(旧アテネ国際空港)で行われた。10月10日の開会式から49日前だった。前日の21日にオリンピアで採火された聖火は、日本航空の特別機「シティ・オブ・トウキョウ」に乗ってアジア11カ国を訪問。各地で聖火リレーを行った後、9月7日に当時米国の占領下にあった沖縄に到着した。

9月9日に沖縄を飛び立った全日空の特別機「聖火号」は鹿児島と宮崎を経由して北海道の千歳に向かった。鹿児島、宮崎、千歳を起点とした聖火リレーは、4ルートに分かれて1カ月で47都道府県を巡った。当時は複数ルートが可能で、期間も短くて済んだ。ちなみにヘレニコン空港は01年に閉鎖。04年アテネ五輪では野球、バスケットボールなどの会場になった。松坂大輔や上原浩治氏が野球で銅メダルを獲得した場でもある。