【アテネ19日=三須一紀】幾多の困難を乗り越えて、ついに、56年ぶりに東京五輪の聖火が日本にやってくる。新型コロナウイルスの世界的感染拡大の中、聖火引き継ぎ式が、第1回近代五輪(1896年)会場のパナシナイコ競技場で行われた。大会組織委員会の森喜朗会長らが新型コロナウイルスの影響で渡航できない中、わずか1日で抜てきされた96年アトランタ五輪競泳代表で国連児童基金(ユニセフ)の教育専門官、井本直歩子さん(43)が日本側の代表として、聖火を受け取った。20日、航空自衛隊松島基地(宮城・東松島市)に到着する。

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聖火の「守り人」がギリシャで奮闘していた。トーチの燃焼機構を受注した新富士バーナー(愛知)の山本宏専務(57)、洋平さん(30)親子だ。12、13日と行われたギリシャ国内の聖火リレーでは、火が消えないようずっと付きっきり。洋平さんは「本当に大変でした」と12日は11時間30分も、ほぼ飲食せず、トイレも行けず、聖火を守った。

この日も、井本さんが受け取ったトーチから、日本へ空輸するためのランタンに聖火を移行する重要な作業を行った。強風でなかなか火が移らず山本さんは「心臓が止まるかと思った」と話した。

開発を始めたのは16年。組織委の要件は風速17メートル、1時間50ミリの大雨にも火が消えない設計を求めた。そこで生きたのが同社の登山用こんろの技術だった。「常に25メートルの風が吹いている」(山本さん)という世界最高峰エベレストや、南極大陸の暴風でも耐えうるこんろを製造してきた。「その技術がずいぶん生かされた」と納得の表情だった。

新型コロナの影響で、ギリシャで奮闘していた組織委関連職員はわずか7人。その内、親子2人が黒子に徹し、無事日本へ聖火を送り出した。