5選手による総当たりの女子50キロ級で須崎優衣(21=早大)が4連勝して優勝を決め、五輪出場枠を獲得した。日本協会の選考基準を満たし、初の五輪代表に決まった。13年の東京五輪開催決定直後から、金メダルの期待を集めたホープが、ひのき舞台に立つ。女子の日本勢は5階級で既に五輪代表が決まり、女子が正式種目入りした04年アテネ五輪からは5大会連続で全階級出場となった。

    ◇    ◇    ◇

道はつながった。4試合連続テクニカルフォール勝ちの圧勝劇で五輪切符をつかんだ。「ここまできたからにはチャンスをつかもうと挑んだので、自分からしかけた」。決勝も2分かからずモンゴル選手を一蹴。右手を挙げ笑顔を見せた。

「真剣に金メダルをとりたいと思ったのは5年生の時」。それから10年、絶望感にさいなまれた事もあったが、ずっと目標はぶれなかった。中2で有力選手がそろうJOCエリートアカデミーに入校した。寄宿制、洗濯の仕方もわからない娘を母は心配した。年に2回しか千葉県内の実家に戻らない生活も、五輪のためには当然。ひたすら、強くなりたかった。

1度は自力での五輪出場が消えた。3連覇を狙った19年世界選手権代表を逃し、ライバルの入江がメダルを獲得すれば、五輪に内定する事態に。「0・01%でも可能性があるなら、一緒に頑張ろう」。吉村コーチの励ましに絶望感の中で前を向いた。入江が表彰台を逃し、その後の直接対決を制し、予選切符を得た。

14年8月、日本協会から東京五輪の強化選手に選ばれていた中3の須崎は、代々木体育館の控室で堂々と宣言していた。「中学生では1人だけでしたが、プレッシャーは感じていません。東京五輪までの6年はたぶん短い。もっと練習して、強くなって、金メダルをとる。やろう、やらなきゃという気持ちです」。

コロナ禍で6年は7年に伸びた。道も険しくなった。「すごく長く厳しい道のりだったんですが、ようやくスタートラインに立てた。絶対に金メダルを取れるように頑張りたい」。いまははっきり、ゴールが見えている。【阿部健吾】

◆須崎優衣(すさき・ゆい)1999年(平11)6月30日生まれ。千葉県出身。14年に43キロ級、15年に46キロ級、16年に49キロ級で世界カデット選手権を3連覇。全日本選手権は48キロ級で16年に初優勝。17、18年は50キロ級で世界選手権2連覇。外国勢には初対戦の14年から無敗。153センチ