日刊28000号の旅〈1〉工藤公康だらしない格好の謎と大谷翔平が継いだ快挙

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。

新企画第1回は、86年西武工藤公康の「だらしない姿」です。(※内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

その他野球

86年日本シリーズ第5戦に登板した工藤。ユニホームのボタンを2つ開けたままでプレーした

86年日本シリーズ第5戦に登板した工藤。ユニホームのボタンを2つ開けたままでプレーした

86年広島との日本シリーズ
ボタン2つ開けたまま…チラチラのぞくシャツの襟元

若き工藤公康のユニホーム姿を思い出してほしい。

1986年(昭61)、西武ライオンズと広島カープの日本シリーズ。23歳の工藤は先発に、リリーフにフル回転しただけでなく、第5戦ではサヨナラ安打まで放ち、シリーズのMVPに輝いている。

当時高校1年で、休み時間などに職員室でテレビを見せてもらっていた私は、工藤のユニホーム姿が強く印象に残った。ユニホームのボタンを2つ開けたままでプレーをしており、動くたびにアンダーシャツの丸い襟元が見えるのだった。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。