【根尾昂2024】カーブにけん制、「じゃが」こと石橋康太との同期バッテリー/後編

田村藤夫氏(64)の中日・根尾昂投手(23=大阪桐蔭)へのインタビュー後編は、石橋康太捕手(23=関東第一)とのバッテリーについてじっくり聞きました。今季はプロ初勝利を目指し、キャンプから1軍ローテーション入りをかけた戦いになります。そのためにも、バッテリーとして息の合ったコミュニケーションが不可欠になります。かなり具体的な部分にも積極的に触れる根尾投手の今季にかける意気込みに、最後までお付き合い下さい。

プロ野球

◆根尾昂(ねお・あきら)2000年(平12)4月19日、岐阜県生まれ。小2から古川西クラブで野球を始め、古川中では飛騨高山ボーイズに所属。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、2年春、3年春夏で優勝。4球団強豪の末、18年ドラフト1位で中日に入団。3歳から始めたスキーでは、中学2年時にアルペンスキー回転で日本一となり、世界大会にも出場した。内外野をこなし、22年途中から投手に登録を変更。23年は2試合に登板し勝敗なし、防御率0・71。177センチ、78キロ。右投げ左打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

撮影・田村藤夫

撮影・田村藤夫

「ボールを長く持ってみたり」

田村氏あとは、カーブだな。

根尾はい。

田村氏カーブはちょっと球数を数えてないけど、球速は106キロくらいかな。それで、ストライクが取れていたな。簡単に。前にも言ったけど、もし投げられるんだったら、そこが大事だよな。

根尾はい、そうですね。

田村氏うん。すごく自分でもたぶん楽に感じると思うよ。あれだけストライク取れると。うん。で、さっきちょっと裏で山井(投手)コーチと会って、やっぱりカーブの話をしてたから。これが自分のものになっていくと、ピッチングの幅も広がるだろうし。

根尾えー、その辺はですね、次も、はい!

田村氏うんうん。別に無理に投げろとは言わないけども、投げられるとこで使っていったらね。幅が広がるだろ。真っすぐ、フォーク、スライダー以外としてカーブは。

根尾はい。うん。

田村氏今日は、なんか、バランスが良かったから、カーブもストライクゾーンにいってたしね。あと、今日はここが気になったっていうところはある?

根尾特には。でも、一塁に走者を出してから打たれることが、シーズン中も多かったんで。うん。なるべく、あの一塁へのけん制とか、まあ、投げないんですけど、けん制の仕方とかですね。シーズン中よりも、より意識的にというか、ボールを長く持ってみたり、いろいろそこはやっています。

ベンチの指示とかの時もありましたけど。そこはよく話しながら、うまいことできたかなと。うん、そこはもう、大胆に取り組みたいな、と。

田村氏昨年の登板の最後は東京ドームの試合かな?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。