【ナベQがゆく】40年前、広岡達朗さんから教わったプロの世界を生き抜く流儀/後編

今季から日刊スポーツの客員評論家となった元西武GM(ゼネラルマネジャー)の渡辺久信さん(60)が、西武時代の恩師・広岡達朗さん(93)と対談しました。渡辺さんが西武に入団した際の監督で、西武黄金時代の礎を築いた人。ヤクルト、西武の監督として日本一を経験しています。恩師へ球団を退団したことなどを報告し、今後の目標へのアドバイスを受けました。広岡さんは歯に衣(きぬ)着せぬコメントで“球界のご意見番"と言われていますが、そんな恩師から渡辺さんが託された思いとは―。2回連載の後編です。

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◆広岡達朗(ひろおか・たつろう)1932年(昭和7)、広島県呉市生まれ。呉三津田高―早大卒。54年、巨人入り。プロ1年目から守備力を評価され、遊撃のレギュラーとして活躍。打率3割1分4厘、15本塁打、67打点をマークして新人王を獲得し、ベストナインにも輝いた。立大から長嶋茂雄(故人)が入団すると東京6大学野球コンビで三遊間を組んでファンの人気を集めた。広島、ヤクルトでコーチを務め、監督としてヤクルト、西武と両リーグで日本一を達成した。92年に野球殿堂入り。著書に「93歳まで錆びない生き方」(幻冬舎)など多数。


◆渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)1965年(昭40)8月2日生まれ、群馬県桐生市出身。前橋工から83年ドラフト1位指名で西武へ入団。最多勝3度、最高防御率1度、最多奪三振1度。96年6月11日のオリックス戦でノーヒットノーランを達成した。97年オフに戦力外通告を受け、野村克也監督の「再生工場」でヤクルトへ移籍。99年から台湾で選手兼任コーチを務め、01年に現役引退。04年に西武2軍投手コーチ、2軍監督を経て、08年から1軍監督に就任し、1年目に日本一。19年からGM、24年5月から監督代行を兼任。シーズン終了後に辞任、退団した。

■「ナベは入団当初から、何でも一番にならないと納得しないような性格だった」

長くプロ野球界を歩んだ渡辺さんにとって、広岡さんは基礎を築いてくれた恩師。「これだけ長くプロ野球の世界で生きてこられたのは広岡さんのおかげだと思っています。お元気なうちに、感謝の気持ちを伝えたかった」。

広岡監督時代の忘れられない思い出がある。

渡辺さん入団1年目の5月ころだったかな、突然、2軍から1軍へ呼ばれました。広岡さんが呼んだと聞きましたが、覚えていますか。

広岡さんそうだったな、覚えとるよ。ナベは入団当初から、何でも一番にならないと納得しないような性格だった。勝負にこだわる男で、勝つために一生懸命にやる。(当時比較された)工藤は賢くて利口だった。2軍にいたら要領よくやるから、すぐに1軍に置いた。

夏場前に投手が足りなくなって、2軍監督に推薦を聞いたら、ナベの名前が出てこない。暇があったら2軍の試合を見に行っていたから。あの真っすぐだけでも、どうにかなると思っていたから、1軍に貸してくれと言って上げたね。工藤はカーブの変化球、ナベは真っすぐで通用すると思った。

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平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。