浪曲界初、吉本興業初の人間国宝 浪曲師2代目京山幸枝若の意外な素顔

浪曲界初の人間国宝(重要無形文化財)。大きすぎる看板とは対照的に、2代目京山幸枝若(70)は穏やかな笑顔が印象的です。

舞台生活は半世紀になりますが「これまで苦労らしい苦労はしていない」「若い人たちに、これからの浪曲を支えてもらいたい」と将来を見据えています。

お笑い

◆2代目京山幸枝若(きょうやま・こうしわか)1954年(昭29)4月1日生まれ、兵庫県姫路市出身。71年、父でもある初代京山幸枝若に入門。72年京山福太郎を名乗る。2004年、2代目京山幸枝若を襲名。公益社団法人浪曲親友協会会長。身長165センチ。

趣味はゴルフ、映画鑑賞。2月28日に、なんばグランド花月(NGK)で「人間国宝認定 記念公演」を行う。

かつて逆風…聖地なんばグランド花月2・28
父は先代、母は三味線弾き…でもギター少年

父は初代京山幸枝若。そして母は曲師だった。曲師とは、浪曲に合わせて三味線を演奏する人。そんな環境だったから、幼い頃から浪曲一色の毎日だった―かと思えば、実はそうでもなかった。

幸枝若10代は音楽に夢中でした。家にクラシックギターがあったもので、ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」を弾いたり、森進一の「港町ブルース」やクールファイブ(前川清)の「長崎は今日も雨だった」を弾いたり。フォークも好きでした。かぐや姫の「神田川」や吉田拓郎の「旅の宿」なんか、素晴らしい曲ですね。

友人とバンドを組むことはなく、ひたすらひとりでギターを弾いた。好きな歌には共通点がある。「神田川」でいえば、若い男女が銭湯に通う姿を通じて「人の情け」が鮮やかに描かれていた。

幸枝若歌が人生を語っていましたね。今は貧しくても、地道に努力して少しずつ前進するんだ、という人の願いがそこにありました。「水戸黄門」のような時代劇もそうですが、人の道をはずれることなく、まじめに生きていればいつかは報われる、そんなドラマが多くの人から愛されていたのでしょうね。

「情け」描いた世界観に魅了も、時代は変革
父に師事、浪曲の道へ 21歳で吉本の舞台に

だが、時代は変わる。情だけでは生きていけない現代社会。好きだった演歌や歌謡曲、フォークの世界観は今やすっかり遠い過去のものとなった。

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エンタメ

三宅敏Satoshi Miyake

Osaka

大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。
主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。
2011年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、2022年から記者として復帰。吉本のお笑い芸人などを取材している。
好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。