【山隈太一朗〈2〉】グサッときた「お前の練習は薄いんだよ」一希と太一から愛の喝

日刊スポーツ・プレムアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第10弾は山隈太一朗(22)を連載中。シリーズ最長? 5時間に迫るロングインタビューの第2回は、高校時代です。

アンソニー・リュウ・コーチに師事した米国への短期留学、盟友の友野一希や本田太一氏から受けた「喝」など3年時のインターハイ制覇まで振り返ります。(敬称略)

フィギュア

   

親友2人のゲキから3週間後の18年西日本選手権。表彰台に迫る4位となり、全日本選手権の切符を初めて獲得、思い出深い大会となった

親友2人のゲキから3週間後の18年西日本選手権。表彰台に迫る4位となり、全日本選手権の切符を初めて獲得、思い出深い大会となった

重かった全中王者の肩書「高校は、もう苦しくて苦しくて」

「高校に入ってからは、もう『苦しくて苦しくて』って感じでしたね」

全国中学校大会を3年時に制した山隈は、欲しかった「全中王者」の肩書を、どこか重圧にも感じながら高校へ進んでいた。

「やっぱり全中優勝っていうものを引っ提げていくわけで。なかなか大きなことですし、皆さんに期待されるし、自分としても『俺はノーミスすれば勝てるんだ』って、より意識を強く持つようになりましたし。一方で、高校に入ってからは気持ちとは裏腹に、全然パフォーマンスが伸びなくて。トリプルアクセル(3回転半=3A)を習得したのが、確か高2だったんですけど、どん底くらいに成績には結びつかなかったですね。もうずっと失敗、失敗の日々ですよ。ショート(プログラム=SP)でミスして、フリーも上がってこなくて。高1、高2と、パッとした成績は残せてないですね。インターハイも1年目は6位(優勝は友野一希)で、確か2年目は8位(1位は三宅星南)。ひどいもんでしたよ」

そう笑い飛ばすが、最終学年の開花へ、根を張れた時期でもあった。

「すぐに結果は出なかったんですけど、高2の夏、アメリカに3週間ぐらい行ったんですよ」

14年ソチ五輪(オリンピック)男子日本代表、町田樹氏のコーチを務めていたアンソニー・リュウ氏。「氷上の哲学者」の異名を取った町田氏も、かつて師事した指導者の拠点へ短期留学した。

「(日本スケート)連盟の方とか、コネクションがある方にお手伝いいただいて、アンソニーのところで単身で修行させてもらったんです。成績というより、総合的に自分を成長させてもらう経験ができました。本来の目的は、アンソニーに教わってトリプルアクセルを跳ぶことだったんですけど、話がまとまって、渡航準備とかしている期間中に降りちゃったんです、日本で(笑い)。とはいえ、行かないわけにもいきませんし。ジュニアの代表選考会の1カ月前だったかな。アンソニーから『この時期ならいいよ。何月何日の飛行機に乗ってくれれば、空港で待ってるよ。泊まるところもあるよ』って」

情報は以上。どこで練習するのか、どこに宿泊できるのか、何も分からない。「よく親も送り出してくれたなって感じですけど」。初めての1人旅だった。

「英語も全然しゃべれないから、身ぶり手ぶりで。でも、ボディーランゲージであれば小さいころから海外遠征に行かせてもらっていたので、割と得意で。パン屋さんで買った物を温めてください、とか小さなことでも何でも、親からはとにかく『誰かに必ず聞きなさい。自分で判断しちゃダメ』と言われてたので、空港に着いたら通りすがりのおじいさんとかにチケット見せて『ここに行きたいので教えてください』とか」

無事、リュウ氏と合流すると「もう本当に面白かった」という合宿が始まる。

芦屋中等教育学校時代の山隈太一朗(本人提供)

芦屋中等教育学校時代の山隈太一朗(本人提供)

高2夏の短期留学でアンソニー・リュウ氏と大きな出会い

「日本の練習は夕方の1時間半から2時間と、夜の2時間が当時のベースだったんですけど、アメリカでは午前中しかなくて。しかも1回1回が長い日本に対して、向こうは1セッション45分で区切られていました。朝8時から全部で5、6セッション。その中で『好きなセッションに来なさい』と言われ『じゃあ4セッション滑らせてください』ってお願いしたんですけど、はい、着いて2日目にけがしちゃいまして(笑い)」

当時、苦手だったという3回転の2連続ジャンプの練習中だったという。

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。