【シャンペリー訪問記(下)】ステファンが見た宇野昌磨&島田高志郎の「自己管理」

スイス南西部にシャンペリーという村があります。

アルプス山脈の麓に位置する標高約1000メートルの地で、近年はフィギュアスケート男子の宇野昌磨さん(27)や島田高志郎(23=木下グループ)らが研さんを積み、日本のファンにも広く知られる場所となりました。

その全ては2006年トリノ五輪(オリンピック)銀メダルのステファン・ランビエル氏(39)が、この地を指導の拠点としたことから始まりました。

2024年12月。現役時代の宇野さんを2016年から担当した松本航記者(33)が、グランプリ(GP)ファイナルをフランス・グルノーブルで現地取材。その足で国境をまたいでシャンペリーを訪ね、ランビエル氏らのインタビューを行いました。

日刊スポーツ・プレミアム正月企画で3週にわたってお届けする現地リポート。最終回は日本との結び付き、ランビエル門下生の成長に迫ります(敬称略)。

フィギュア

スケートを学び、人生を学ぶ

シャンペリーには、人口約1400人の小さな村らしい日常がある。

地元の学校ではスケートのレッスンが必須だそうだ。

8~9歳の子どもたちが、ランビエルが拠点とする施設「パラディウム」を利用する。

シャンペリーの施設「パラディウム」をバックに笑顔を見せるステファン・ランビエル氏(撮影・松本航)

シャンペリーの施設「パラディウム」をバックに笑顔を見せるステファン・ランビエル氏(撮影・松本航)

ある日、こんなことがあった。

子どもたちの先生が病気になり、学校を休んだ。

「パラディウム」の責任者であるザカリ・フルニエは、その時の様子を思い返した。

フルニエ子どもたちの授業を担当したのは、ステファンでした。彼は競技者にとって素晴らしいコーチですが、スケートと、全ての子どもたちへの情熱を伝えることにも成功しています。スポーツは全ての人のもので、ハイレベルのアスリートは少ない。ステファンはシャンペリーの子どもたちへのスクールにも励んでいて、誰でもスケートをすることができます。

2024年8月。

この地でアイスショー「魔法使いの弟子」が開催された。

ランビエルが手がけたショーに早くから出演を決めていたのが、春に競技者を引退した宇野昌磨だった。

のちに同時期には2022年北京五輪の団体メダル授与式がパリで開かれることが決まったが、宇野はショーでこだわりの演技を披露した。

シャンペリーはにぎわった。日本のファンも多く駆けつけた。

運営の1人として、成功へ尽力したフルニエは言った。

フルニエスイスの文化には特徴があります。ステファンの生徒たちが非常に有名なアスリートであることは知られていますが、スイスでは私たちは、彼らの邪魔をすることはありませんし、写真を要求することもありません。私たちはあいさつだけをして、彼らの邪魔をしないようにします。そのためショーの際にも選手を第一に考えました。日本ではステファン・ランビエルがスーパースターであることは知られていますし、フィギュアスケートは重要なスポーツ。ステファンのところに来る若者を見るのはうれしいですね。彼らはスケートを学び、人生を学びます。特に日本人にとって、スイスの小さな村で住むのは簡単ではないと思います。成功しているステファンを見て、私たちはいつも感銘を受けますし、昌磨が世界チャンピオンになるのを見た時には、とても誇りに思いました。日本の選手は礼儀が正しく、規律が重んじられています。

ステファンは自立を促した

話をランビエルに戻す。

7年前の2017年、この地に15歳の少年がやってきた。

島田高志郎だった。

ジュニアGPファイナルの会場で公式練習に臨んだ島田高志郎(右)とランビエル・コーチ(2018年12月5日撮影)

ジュニアGPファイナルの会場で公式練習に臨んだ島田高志郎(右)とランビエル・コーチ(2018年12月5日撮影)

かねて野辺山での指導歴があった日本の有望株とは振り付けで関係性が深まり、そうして入門に至った。

島田は2023年6月配信の「氷現者〈中〉」で、当時を振り返っている。

島田日本に帰りたい気持ちはあんまりなかったですね。本当に必死で、毎日もう生きるのに必死だったのと、本当に周りの人に家族のように温かくサポートしてもらっていたので。ホームシックとか一切なかった、とまで言うとあれですけど、頑張るんだ、という気持ちの方が強かったです。

師の記憶も鮮明だ。

ランビエル私の指導の優先課題の1つは、スケーターを自立させることです。それは2017年の夏でした。彼は2001年生まれ。9月に16歳になるはずで、その前に来ていたので15歳でした。15歳の彼はまるで命令に従いたかったかのように、私が言ったことの全部を正確にやりたがりました。2017年から今日に至るまで、私が望んでいたのは、彼が可能な限り自立することでした。

4大陸選手権男子SPを終え、リプレー映像をステファン・ランビエル・コーチと確認する島田高志郎(2023年2月9日撮影)

4大陸選手権男子SPを終え、リプレー映像をステファン・ランビエル・コーチと確認する島田高志郎(2023年2月9日撮影)

取材前日の2024年12月9日。

島田は全日本選手権に向けて、ランビエルより一足先に日本へ戻っていた。

ランビエル昨日はお互いにメッセージを送り、彼は日本での計画表を送ってくれました。彼が私にプランを伝えてきていることを、とても誇りに思います。15歳のころ、私は彼がやること、やるべきことを全て言わなければいけなかった。彼は今では自分が何を必要としていて、それをどのようにオーガナイズすべきかを分かっている。それから私の意見を求めてきます。そうして私は、彼に何を調整する必要があるかを伝えます。彼は自分自身を管理する能力をはるかに向上させ、自分のニーズ、目標を達成するための可能性を、よりよく知ることができる時期に到達しました。大きな誇りです。

2019年。

メインコーチ不在の状況下でやってきた宇野昌磨は21歳だった。

中国杯の公式練習で宇野昌磨(左)はステファン・ランビエル・コーチの指導を受ける(2023年11月9日撮影)

中国杯の公式練習で宇野昌磨(左)はステファン・ランビエル・コーチの指導を受ける(2023年11月9日撮影)

すでに2018年平昌五輪で銀メダルを獲得し、世界のトップスケーターの1人に位置付けられていた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。