【島田高志郎〈中〉】衝動的に伝えた「アイラブユー」小6で出会ったステファンと歩む

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第13弾は、昨年末の全日本選手権2位の島田高志郎(21=木下グループ)の歩みを振り返っています。

「中編」は、コーチとなるステファン・ランビエルとの出合いや、スケート人生で2度目の転機となったスイスへの移住、その心の動きを記します。(敬称略)

フィギュア

   

少年時代、競技会場での一コマ(本人提供)

少年時代、競技会場での一コマ(本人提供)

15歳決意抱き日本からスイスへ

登山鉄道が山間をゆっくりと進んでいる。

あこがれのあの人が待つ小さな村まではもう少し。車体の揺れに合わせるように、心は躍っていた。

2017年のオフだった。故郷の愛媛・松山から岡山へと拠点を移した小学校4年生の時の決断がスケート人生を変えた。そして、いま、再び大きな転機を迎えようとしていた。

ステファン・ランビエルが待つ、スイス・シャンペリーへ。

2度目の訪問だが、1度目とは決意が違った。ただただ、一途にうまくなりたいという欲求が日本を飛び出させていた。

「よく行きましたよね」

いまも笑顔で懐かしむ、大胆な行動だった。

ステファンとの出会いは13年の野辺山合宿。「ただただ、もう、かっこいい。キラキラ見えていた」(本人提供)

ステファンとの出会いは13年の野辺山合宿。「ただただ、もう、かっこいい。キラキラ見えていた」(本人提供)

野辺山でステファンと最初の出会い「キラキラ見えた」

出会いはもっと昔だった。

小学校6年生、2013年の長野・野辺山だった。

将来を嘱望された全国のスケーターたちが集まる有望新人合宿。全日本ノービス選手権の成績などで参加がかなうと、その講師役がランビエルだった。

「ただただ、もう、かっこいいステファンをずっと眺めていて。キラキラと見えていたというか、あの感じなんですけど」。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。