【友野一希〈中〉】「自分だけ選ばれない。なんで?」3度の選考会落選から学んだこと

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第52弾は2026年ミラノ・コルティナ五輪を目指す友野一希(27=第一住建グループ)が登場します。〝浪速のエンターテイナー〟とも呼ばれ、数々のプログラムの記憶とともに、国内外で多くのファンの心をつかんできました。

3回連載の中編はジュニア転向後の葛藤。悩み、壁を乗り越えた時間は、スケーターとしての礎になりました。(敬称略)

フィギュア

◆友野一希(ともの・かずき)1998年(平10)5月15日、大阪・堺市生まれ。4歳でスケートを始める。浪速高3年でジュニア最終年だった2016年全日本ジュニア選手権優勝。同志社大1年の2017―18年シーズンにシニアへ転向し、全日本選手権4位。補欠から繰り上げで出場した世界選手権で5位と躍進する。2022年4大陸選手権2位、世界選手権は同年から2年連続で6位。2025―26年シーズンは五輪初出場を目指す。趣味はサウナ、読書。身長160センチ。

2015年11月、全日本ジュニア選手権2位(左)。優勝した山本草太(中央)、3位宮田大地と記念撮影

2015年11月、全日本ジュニア選手権2位(左)。優勝した山本草太(中央)、3位宮田大地と記念撮影

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中学1年生から高校3年生までの6年間、友野はジュニアが主戦場だった。

スケート年齢では〝同期〟となる世代屈指のスケーター、宇野昌磨はジュニアで4シーズンを過ごしてシニアに転向。同い年ながらスケート年齢で1学年下となる盟友の本田太一も、4シーズンでシニアとなった。

友野は当時を思い返し、すがすがしい表情で笑った。

「『早く上がりたい』というのは、考えてもいなかったです。それは昌磨くんのように、トップ選手が考えること。僕は最初から『国際大会で1位になりたい』など、考えるレベルになかった。場面場面で受けた刺激を、次につなげてきました」

視線は、常に目の前。

その中でもがいていた。

立ちはだかったハードル

ジュニア1季目となった2011―12年シーズン。

近畿選手権を吉野晃平に次ぐ2位、西日本選手権を田中刑事、木原龍一、宇野昌磨、日野龍樹、坪井遥司、川原星に続く7位で通過した。

ノービスからの推薦出場を皮切りとし、2年連続出場の全日本ジュニア選手権は9位。シーズン前には初めての国際大会となるアジアントロフィーにも派遣されており、着実にステップを踏んでいるように感じていた。

「派手ではないですが、安定して成績を残せている感じはありました」

だが、あるハードルが立ちはだかった。

世界への登竜門となるジュニアグランプリ(GP)シリーズの国内選考会だった。

ジュニア2季目の2012―13年シーズン。

ジュニア3季目の2013―14年シーズン。

ジュニア4季目の2014―15年シーズン。

3度巡ってきた機会で、全て落選した。

2015年11月、全日本ジュニア選手権フリーの演技

2015年11月、全日本ジュニア選手権フリーの演技

3回目の挑戦を終えた帰り道。ハンドルを握るコーチの平池大人とも、もどかしい胸中を共有していた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。