【友野一希〈下〉】どうして五輪を目指すのか 27歳の秋、その理由が明確に定まった

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第52弾は2026年ミラノ・コルティナ五輪を目指す友野一希(27=第一住建グループ)が登場しています。〝浪速のエンターテイナー〟とも呼ばれ、数々のプログラムの記憶とともに、国内外で多くのファンの心をつかんできました。

3回連載の下編はシニア転向後の心の動きに焦点を当てます。さまざまな思いを胸に、五輪シーズンに臨んでいます。(敬称略)

フィギュア

◆友野一希(ともの・かずき)1998年(平10)5月15日、大阪・堺市生まれ。4歳でスケートを始める。浪速高3年でジュニア最終年だった2016年全日本ジュニア選手権優勝。同志社大1年の2017―18年シーズンにシニアへ転向し、全日本選手権4位。補欠から繰り上げで出場した世界選手権で5位と躍進する。2022年4大陸選手権2位、世界選手権は同年から2年連続で6位。2025―26年シーズンは五輪初出場を目指す。趣味はサウナ、読書。身長160センチ。

9月7日、CS木下グループ杯で2位となり、メダルを手に笑顔

9月7日、CS木下グループ杯で2位となり、メダルを手に笑顔

4年に1度の大舞台であるオリンピック。

他のアスリートと同じように、友野もそんな輝く場所を目指してきた。

シニアに転向して、9シーズン目の秋を迎える。

実質3度目となる五輪への挑戦。

その意味を考えてきた。

「『なんでオリンピックを目指しているか』というのは、そこに向かっている過程が大切と思っているからです。五輪には絶対に出たい。(田中)刑事くんの1カ月間の面構えの変わりよう、町田(樹)くんのソチへの過程。自分はオリンピックに向かう人の、かっこよさを見ています。そういうのを経験した後に『自分がどういうスケーターになるんだろう』と考えています。そんな経験を持っているスケーターになりたいと思っています」

2024-25年シーズン記者会見で「ここ一番の集中法」を発表

2024-25年シーズン記者会見で「ここ一番の集中法」を発表

長らく練習拠点としてきた大阪の臨海スポーツセンター。同じ時間を共有することもあった先輩2人が、2014年ソチ、2018年平昌と五輪に出場した。

「競技者として、極限までやりきった生きざまを残すこと。ひとつ挙げるとすれば、それがまだ、やりきれていません。最後にそこを刻み込みたい。〝競技者としての友野一希〟を刻んでいくのが、今シーズン一番の目標です。それは引退後にも続いていくと思うし、スケートの深みはショーに出ても変わってくる。スケーターとして、人間として、一番しびれる1年。この経験は間違いなく大切になる。ここでやりきれるか、やりきれないか。それが人生の頑張る時に出ると思っています。一瞬一瞬を、やりきれる自分になりたいです」

時計の針を2017年に戻す。

「人生を変えたターニングポイントです」

平昌五輪シーズンとなった2017―18年、同志社大へと入学した。

直近の1年間で全日本ジュニア選手権優勝、世界ジュニア選手権出場という実績を積んだが、五輪で戦うイメージは持ちきれなかった。

グランプリ(GP)シリーズの選考会で落選。結果的に村上大介の急性肺炎により、NHK杯の〝代打出場〟が決まったが、シニアのトップ層とは差を感じていた。

「あまりメラメラとしていませんでした。『シニアで戦えることはないだろう』と思っていた。正直『シニアの4年間で1度ぐらいグランプリシリーズに行って、就職したい』と考えていました。当時はグランプリが遠い存在でした」

五輪前哨戦となったヘルシンキの世界選手権では、羽生結弦、宇野昌磨がワンツーフィニッシュを決めていた。周囲は世界をけん引する2人の五輪切符は確実と疑わず、代表3枠目を複数の選手で争うとみていた。

NHK杯を7位で終え、あっという間に師走が近づいた。

シーズンが佳境を迎えても、3枠目争いは混戦だった。

12月の全日本選手権。

そこで存在感を際立たせたのが、田中だった。

ショートプログラム(SP)で宇野に次ぐ2位の91・34点をマーク。本人も「やることはやりきった」という練習の末に、3枠目をつかんでいた。

2017年11月、NHK杯の公式練習でSPの演技を確認

2017年11月、NHK杯の公式練習でSPの演技を確認

その姿と比較し、友野も当時を振り返る。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。