【三原舞依〈上〉】追いかけ続けた坂本花織の背中、電車での百字帳…幼いころの記憶

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第55弾は三原舞依(26=シスメックス)が登場します。4大陸選手権で2つの金メダルを獲得し、2022年にはグランプリ(GP)ファイナルを制したトップスケーター。紆余(うよ)曲折を経て、今季はシニア10季目を過ごしています。

全3回でお届けする連載の上編は、幼少期からジュニアへと続く物語。そこには同世代の背中を追い、世界へと飛びだす姿がありました。(本文敬称略)

フィギュア

自らの人生を振り返った三原舞依(撮影・松本航)

自らの人生を振り返った三原舞依(撮影・松本航)

谷がないと山もない

西日本選手権で自身11枚目の全日本切符をつかんでから2日。

11月4日。三原の姿は、今も昔も拠点としている神戸にあった。

待ち合わせ場所に姿を見せると、バッグは競技会で見る〝それ〟と同じだった。

ファンからプレゼントされた10以上のお守りをぶらさげ、肌身離さない。

8月22日で26歳になった。

「サマーカップが終わって誕生日を迎えてから『26歳か…』と思うこともあるんですけど、去年、一昨年のような強い痛みが少なく練習できていて、トレーナーさんの指導も受けながら、トレーニングを積めています。新しいリンクで毎日滑れているのが、すごくうれしいです」

三原舞依が持ち歩いているかばん(撮影・松本航)

三原舞依が持ち歩いているかばん(撮影・松本航)

シニアとしては10季目。

日に日に肌寒くなる中で、今年もスケートシーズンを歩んでいる。

誰かに言われるでもなく、最近、自分の中で大切にする考え方ができた。

「『人生は谷がないと山もない』と、すごく思うようになりました。人生なので、全部がうまくいくこともない。その時の出来事がなかったら、今の私につながっていないと、とても感じることができています」

決して順風満帆ではない。

それでも心が折れそうな時に悩み、踏ん張り、最後は未来に向かって生きてきた。

踊るのが好きでした

1999年8月22日。

「だんご3兄弟」が爆発的ヒットを記録していた時期に、神戸市で生を受けた。

舞依という名には「舞ってほしい」という思いが込められている、とのちに聞いた。

両親、9歳上の兄との4人家族。幼いころから、兄はよく面倒を見てくれていた。

「両親は仕事をしていましたし、兄とどんな時も一緒にいて、遊んでもらっていた記憶があります。(物心がついた時には中学生の)お兄ちゃんがテスト期間に勉強していたのも覚えていますし、とにかく家の中で遊んでもらっていました」

自宅に保存してある動画には、過去のそんな様子が記録されている。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。