【箱根駅伝2023 あえぐ名門〈1〉】瀬古は言った「これじゃ予選落ちだわ」

名門があえいでいる。早稲田大学競走部。東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で13回の総合優勝を誇る伝統校は、今年1月の大会でシード落ち(総合13位)を喫した。2010年度の「大学駅伝3冠」を最後に栄光から遠のく苦境に、6月、OBの名ランナー花田勝彦(51)を監督に迎えた。箱根駅伝は24年の第100年回大会で全国化を導入するなど、日本スポーツ界でも屈指のメガイベント路線を突き進んでいる。その流れに「ワセダの伝統」が直面しているものとは-。来年1月の23年大会まで長期の密着取材を敢行し、理想と現実がせめぎ合う姿を追っていく。(敬称略)

陸上

妙高合宿にて。前列左5人目から鈴木主将、瀬古氏、花田監督、相楽チーム戦略アドバイザー

妙高合宿にて。前列左5人目から鈴木主将、瀬古氏、花田監督、相楽チーム戦略アドバイザー

8月妙高合宿、飛び交った厳しい言葉

8月、新潟県妙高市で行われた夏合宿。集団から後れまいとする上級生が、気合を入れるように雄たけびを上げていた。

「あーーっ!!」

腕を振りしきり、脚を動かし、もがく。何とか踏みとどまり、一団はまた登りに入っていく。

標高800メートル近い起伏富む妙高高原の山間の道路に、早稲田のランナーたちが息を切らせていた。

弾ませる、ほどの余裕は見えない。繁茂する木々が覆う静けさに、ただ足音と激しい息遣いが染み込んでいく。

雨天、曇天、また雨天。すぐに天気は変わる。気温は20度ほど。夏合宿は序盤の2日目の午後、さっそくの30キロ走に体からは湯気が立ち上る。

「ラスト、頑張れ!!」

花田が声をかける。

雨と汗、ぐっしょりとウエアをぬらし、脚の血管を隆起させ、10人の選手がゴールに駆け込んだ。

道には「ランナー注意」、立て看板には「ランナー練習中 運転注意!」の文字が目立つ。

冬場は日本屈指の豪雪地帯のスキーリゾートは、夏場は薄手にチーム名が入ったウエアを着るランナーたちの姿にあふれる。

早稲田のトップ組がこの地を第1次合宿の場所に選んだのは初だった。

ここは花田の指導者としての原点の地だ。04年、現役引退した直後に指揮を執ることになった創部1年目の上武大。その夏、合宿地を求めて、縁があって出合った高原だった。

当時は長距離ランナーは皆無だった場所に根を張り続け、その環境の評判が広がり、いまや他大学、実業団のランナーたちも集う。市も興隆を支えるため、「ランナー注意」の文字を道路にマーキングする。

池の平温泉観光協会は「動物注意の文字は見ますけど、ランナーはここだけかも」。クロスカントリーも含め、コース整備がいまも進む。

そんな山麓が、早稲田の再生へのスタートラインになろうとしていた。ただ、その道は険しくあった。

■動くグラフ!箱根駅伝優勝回数 ワセダは2位の13回■

花田監督「箱根を戦うチームの練習ではない」

30キロ走を終えたその夜、午後7時15分からのミーティングだった。

「箱根を戦うチームの練習ではないと思う」

優しい口調だが、しかし毅然(きぜん)と。冒頭、花田は選手たちに伝えていた。

上級生含め、集団についていけない選手もいた。

「青学さんなら、30人の集団で3人しかこぼれないと思う。20名以上がきっちりと走ってくる」

あえてだろう。同じ妙高で合宿を組む王者を引き合いに出す。

「自分は頑張っていると思っても周りから見たら努力に見えないということはある。それはちゃんとした努力になってない。言われてやるのではなく、自分自身で何が足りないかを考えてほしい」

その直後、OB・OG会「早稲田アスレチック倶楽部」の会長を務める瀬古利彦は、よりストレートだった。

「はっきり言うと、誰が練習をやめるんだろうと。すごく先輩として不安だった。これじゃあ予選落ちだわと。ヒヤヒヤしたよ」

口調から、諦念のダメ出しではなく、愛あるハッパだというのは分かった。座した20名以上の選手の中には、膝に置いた拳を握りしめる姿もあった。30キロ走破の疲労感残る体に、その言葉はどう響いていただろう。

夏にどれだけ走り込めたかが、秋以降の駅伝シーズンを左右する。まとまった距離を踏める合宿の重要性は、選手なら誰でも分かっている。

スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。