【札幌・中島大嘉ヒストリー〈下〉】愛するコンサ…「みんな」に報いたい。得点王として

J1北海道コンサドーレ札幌FW中島大嘉(20)が語る「中島大嘉ヒストリー」の下編。「拾ってもらった」と感謝する長崎・国見高時代の話やメンタル面を自己分析、タイトル獲得を目指す今季にかける思いも明かした。「『和製ハーランド』ではなく『地球製中島大嘉』と呼ばれるようになりたい」など、その豊かな表現力は小学校時代の図書室で培ったようだ。

サッカー

 
 

【〈上〉苦しんだ中学時代「支えてくれた」母への感謝】からつづく

22年5月の鹿島戦、ヘディングで競り合う中島

22年5月の鹿島戦、ヘディングで競り合う中島

国見へ進学、周回遅れからのスタート

中学3年間のうち半分も学校に行っていないけど、最後らへんは学校もサッカーも行けるようになった。

高校は出席日数が足りなくて、どこも行けなくて。強豪校にも練習参加させてもらい、一応特待とか推薦って話はあったけど、出席日数を提出したら行かれへんってなったので。

どこも行くところがなくて、国見に何とか拾ってもらった。国見では1年の時に合計して2週間くらい学校をちょくちょく休んだけど、2、3年ではほとんど休むことはなくなった。

中学でサッカーをしていない時期もあったけど、もともと走れた。お母さん譲りで身体能力は高い。でも高校1年の時は設定タイムで走れなかったり。みんなから周回遅れとかになっていた。

でも、俺はプロサッカー選手になるからって思って、妥協せずにやっていたら、2年の春には先頭を走れるようになっていた。努力ですね。

3年の春からJリーグのスカウトの方がいっぱい来るようになって、札幌に来られたっていうのが、とりあえずプロになるまでの話。

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スポーツ

保坂果那Kana Hosaka

Hokkaido

北海道札幌市生まれ。2013年から高校野球などアマチュアスポーツを担当し、2016年11月からプロ野球日本ハム担当。
2017年12月から北海道コンサドーレ札幌担当。冬季スポーツの担当も務め、2022年北京五輪ではノルディックスキー・ジャンプや複合を取材。